かまくらかまくらとは、秋田県、新潟県など日本の降雪地域に伝わる小正月の伝統行事、またそれによる構造物。雪で作った「家」(雪洞)の中に祭壇を設け、水神を祀る。 一般には、伝統行事で作られるものに限らず、雪洞自体が「かまくら」と呼ばれる。また、新潟県の魚沼地方では、同様の雪洞や行事のことを「ほんやら洞」という。 かまくらの語源は、形が竃(かまど)に似ているから「竃蔵」であるとする説や神の御座所「神座(かみくら)」が転じたものであるとする説などがある。 行事としての歴史京都御所清涼殿で行われていた吉書焼きの左義長の遺風をうつしたものといわれ、鎌倉時代初期に二階堂氏がこの地方の地頭となった時に始まり、豊作祈願の火祭として続けられた。六郷(秋田県美郷町)のカマクラ行事の場合、現在の形が定着したのは江戸時代初期の頃といわれている。秋田県内にはこのほか仙北市(旧・角館町の火振りかまくら)や横手市などにも伝わっている。また、新潟県の魚沼地方では、「ほんやら洞」という同様の伝統行事が行われている。 秋田県のかまくら横手のかまくら毎年2月15日、16日に開催され、横手市を代表する小正月行事となっている[1]。雪洞の中に祭壇を設けて水神を祀り、その中で子どもたちが餅を焼いたり甘酒を温めたりして楽しむのが横手のかまくらとなっている[1]。 元は旧暦1月17日に行われていたが[2]、1952年(昭和27年)に新暦2月15日へと改められた[3]。 横手のかまくらの起源を辿ると、横手の内町・外町で行われていた2つの行事に至る[4][注釈 1]。横手川右岸に広がる「内町」は江戸時代における士族の町で[4][注釈 2]、火祭りである「左義長」のかまくらが行われており、鎌倉大明神を祀る火祭りをかまくらと呼んでいた[6]。左義長では四角い雪の壁の中に門松や注連縄などを入れ、供え物を供えてから燃やし、子どもの無事成長を祈った[3]。一方、横手川左岸に広がる町人の町「外町」[注釈 3]では、町内の井戸の側に水神様を祀る「水神祭り(おしずの神さんと呼ばれた[7])」を行っていた[4][8]。当時、飲料水が乏しく井戸の水が生活において重要や役割を占めていたことや[9]、稲作が盛んであることから水神に対する信仰が厚く、水利を良くするために水神を祀っていた[10][11]。しかし、明治から大正にかけて各家庭にポンプ式井戸が普及し、水神を祀る水神祭は影が薄くなってしまった[11]。そこで、子どもが遊びで作っていた雪洞の中に祭壇を移動させ、子どもたちは雪洞で遊ぶだけではなく、水神の神主としての役割を担うようになった[11]。子どもたちが訪問者に対して「上がってたんせ」と声をかけ、もてなしていたという記録が残っており[11]、子どもは欠かせない要素となっていた[12]。これらの行事が合体したのは1897年(明治30年)前後と言われており、内町の左義長に外町の水神祭りが加わり、現在のような様式になったとされている[4][11]。 1936年(昭和11年)にこの地を訪れたドイツ人建築家ブルーノ・タウトが『日本美の再発見』の中で、子供たちが雪洞の中に祭壇を設けて水神を祀り餅などを食べたり鳥追いの歌を歌ったりして遊んだりする、この素朴で幻想的な情景をと絶賛したこともあり、ますます盛んになり観光客が増えたという[13][14]。しかし、その後の生活様式の変化の影響を受け、家々でのかまくら作りは激滅し、モデルかまくらを中心とした[15]観光行事としての色合いが強くなった[11]。 →観光行事としての側面が強くなった現代のかまくらについては「横手の雪まつり § 歴史」を参照
横手のかまくらの作り方は、次のとおり。雪を積み重ねて踏んだりシャベルで横から叩いたりして固めた後、雪を掻き出して空洞と出入り口をこしらえる。1人用は直径2メートル、大型の4〜5人入れるものは直径3.5メートルを目安とし、安全のため壁は十分な厚さを持たせる。観光化して設置数が増えたため、人や自動車の往来を妨げないように、かつての伏せた椀型から細身に形状が変化している。横手には、普段は農業などをしていて、かまくら作りを得意とする職人が16人(2019年12月時点)いるが、数が減ってきている[16]。
六郷のかまくら「六郷のカマクラ行事」は、約700年の歴史があり重要無形民俗文化財となっている。 美郷町六郷地区では、延暦21年(802年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が創建したという、秋田諏訪宮の小正月の神事として「かまくら行事」が2月11日から15日にかけ以下の日程で催される[17]。観光行事としては、「竹うち」が行われる。
楢山かまくら秋田市のかまくら行事であり、雪で方形に作った囲いに藁で作った屋根をかぶせ中に水神・鎌倉大明神を祭る。かまくらの中には空の米俵を積んでおり、祭りの終りに一つずつ火をつけ火振りかまくらのように振り回す。 1910年に蝋燭の火がかまくらの屋根を焼く火災事件が発生したため、警察と消防により行事が禁止された。以後60年以上途絶えていたが1975年、太田町の町内会が子供行事として復活させ、現在も続けられている。 新潟県のほんやら洞新潟県中越地方では、同様の雪洞や行事のことを「ほんやら洞」という。 「ほんやら洞」は、各地の雪祭りの行事のなかで多くつくられるが、「ほんやら洞」をメインにした行事としては、毎年2月に行われる小千谷市山谷、坪野地区の「山谷坪野ほんやら洞まつり」[18]、南魚沼市の「六日町温泉ほんやら洞まつり」が有名である。「ほんやら洞」の行事の内容は、秋田県の六郷のかまくらと同様、子供たちが雪で室を作り、水神様をお祭りし、鳥追いの歌を歌う。つげ義春の漫画作品『ほんやら洞のべんさん』に鳥追いとともに情緒豊かに描かれた[19]。 類例
かまくらを題材にした作品脚注注釈出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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