ごん狐『ごん狐』(ごんぎつね)は、新美南吉作の児童文学。小学校国語教科書の教材の定番ともいえる作品である。一般に流布しているバージョンは鈴木三重吉による編集が施された版である。 概要新美南吉の代表作で、18歳の時に発表した。初出は雑誌『赤い鳥』1932年1月号。作者の死から半年後の1943年(昭和18年)9月に刊行された南吉の第3童話集『花のき村と盗人たち』(帝国教育会出版部)に収録された[1]。 新美南吉の草稿には彼の出身地である愛知県知多郡半田町(現在の愛知県半田市) 物語は6つのパートから成り立っている。 あらすじ物語は村の茂平という老人からの伝聞という形式になっている。 両親のいない小狐ごんは、村へ出てきては悪戯ばかりして村人を困らせていた。ある日ごんは兵十(へいじゅう、またはひょうじゅう)が川で魚を捕っているのを見つけ、兵十が捕った魚やウナギを逃がすという悪戯をしてしまう。それから10日ほど後、兵十の母親の葬列を見たごんは、あのとき逃がしたウナギは兵十が病気の母親のために用意していたものだと悟り、後悔する。 母を失った兵十に同情したごんは、ウナギを逃がした償いのつもりで、鰯を盗んで兵十の家に投げ込むも、翌日に鰯屋に泥棒と間違われて兵十が殴られていたことを知り、ごんは反省する。それからごんは自分の力で償いをはじめようと毎日栗や松茸を兵十に届ける。しかし兵十は毎日届けられる栗や松茸の意味が判らず、知り合いの加助の助言で神様のおかげだと思い込むようになってしまう。それを聞いてごんは割に合わないとぼやきながらも届け物を続ける。 その翌日、ごんが家に忍び込んだ気配に気づいた兵十は、また悪戯をしに来たのかと思い、戸口を出ようとするごんを火縄銃で撃ってしまう。ごんはバタリと倒れ、兵十がごんに駆け寄ると土間に、栗が固めて置いてあったのが目に留まり、はじめて、栗や松茸がごんの侘びだったことに気づく。 「ごん、おまえ(おまい)だったのか。いつも、栗をくれたのは。」と問いかける兵十に、ごんは目を閉じたままうなずく。兵十の手から火縄銃が落ち、筒口から青い煙が出ているところで物語は幕を閉じる。 物語の背景この物語の舞台である愛知県半田市は新美南吉の出生地である。この物語を南吉が執筆したのは1930年(昭和5年)、わずか17歳の時であった[要出典]。この物語は、彼が幼少のころに聞かされた口伝(口頭伝承)をもとに創作された。南吉は4歳で母を亡くしており、孤独で悪戯好きな狐の話が深く影響を与えたとされている[要出典]。 作品「ごん狐」には大きく分けると、元猟師の口頭伝承として存在したと考えられるいわばオリジナルの伝承『権狐』、新美南吉が口伝を物語にまとめた草稿の『権狐』(南吉旧蔵のノートに残っている)、および南吉が雑誌『赤い鳥』に投稿した『権狐』を鈴木三重吉が掲載にあたって子供用として加筆修正を加えた『ごん狐』、の3つのバージョンを想定できる[注 1]。学校の国語の教材や絵本で一般に親しまれているのは、鈴木の筆削が加わった『ごん狐』である[3]。南吉の草稿の冒頭部分によれば、口伝の伝承者は「茂助」という高齢の元猟師であり、「若衆倉」の前で幼少の南吉に話を伝えたとされている[2]。 伝承者「茂助」の実在は確認されておらず、オリジナルの口頭伝承は失われてしまっていることから、草稿の冒頭部に置かれている茂助からの聞き書きを示す記述も南吉の創作ではないかという見方も存在する。ただし、草稿バージョンの『権狐』には、本職の猟師や漁師でなければ知りえないような情報が含まれていると研究者の安藤重和は指摘し、南吉の完全な創作とは言えない可能性を示唆している[4]。また、安藤は草稿の構成と表現を検討して、口伝段階の物語は、「権(ごん)」が兵十の母の葬式を見て「もう悪戯をしなくなりました。」というところで終わり、権は撃たれておらず、それ以降の展開を南吉が創作したのではないかと推定している[4][2]。 研究者の木村功は、鈴木三重吉がおこなった編集を検討して、全国的な物語の普及を目的として、贖罪の位置づけを強調するとともに、語り手の存在感を薄めた他、場面の単純化、表現の一般化、地域性の排除など三十数箇所にのぼり、近代の童話として大胆に手を加えられた結果、普遍的な共感をもたらす作品として完成したと評価している[2]。しかしその一方で、当時の社会情勢(部落有林の国有化による猟師の廃業など)の光景や口伝的要素、地域色(方言の標準語化など)、文学的表現が失われたと述べている[2]。たとえば、鈴木は「納屋」が方言であるとして、本文中の「納屋」を「物置」に修正したが、1箇所「納屋」のまま残っている部分がある[注 2]。 新美南吉所蔵のノートに残されていた草稿『権狐』は、『校定 新美南吉全集』(大日本図書)の第10巻に収録され、一般に公開されている。 享受・受容国語教科書に採用されたのは1956年(昭和31年)の大日本図書『国語4年(上巻)』が最初である[5]。ついで1961年(昭和36年)に中教出版の国語教科書(小学校3年)に掲載[5]、1968年(昭和43年)には日本書籍と東京書籍、1971年(昭和46年)光村図書、1977年(昭和52年)教育出版、1980年(昭和55年)学校図書、1989年(平成元年)には大阪書籍と、教科書に採用された。2016年(平成28年)においても小学校4年生の教材として国語教科書に登場している[6]。なお、特に初期の国語教科書ではテキストが改作されている[5]。また、比較的短く登場人物も少ないことから、学芸会などでの上演演目にもよく用いられる[要出典]。演劇台本では、ラストシーンで兵十が射殺したごんを「許してくれ、知らなかったんだ!」と泣きながら抱井起こすといった脚色も行なわれている[要出典]。絵本や紙芝居も合わせ、さまざまに脚色された「ごんぎつね」のバリエーションが生まれている[5]。 1985年(昭和60年)には毎日放送製作・TBS系列放送の『まんが日本昔ばなし』が番組10周年記念として、アニメ映画を製作。全国のホールを借りて巡業形式で上映した。その際、母狐(声:市原悦子)と死別することになった出来事も追加された。声の出演は田中真弓(ごん)、常田富士男(兵十)。この映画はテレビの本放送でも流されている。主題歌は葛城ユキの「心からイエスタデイ」。 1993年(平成5年)に中日劇場自主製作で、南吉生誕80年記念創作ミュージカル「ごんぎつね」が上演[7]。 2011年(平成23年)10月、新美の故郷である愛知県半田市から特別住民票が交付された。なお生年月日は執筆完成の1931年10月6日とされた。[要出典] 2019年(令和元年)10月、本作を原作として八代健志が監督・脚本・美術・木彫・アニメートを担当したストップモーション・アニメ『劇場版 ごん - GON, THE LITTLE FOX』が半田空の科学館のプラネタリウムで投影公開された[8]。翌2020年2月からアップリンク吉祥寺にて、6月からは全国の映画館で拡大上映された[9]。監督の八代健志は次作『プックラポッタと森の時間』(2022年)で大藤信郎賞を受賞した[10]。 関連図書
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク |