さが ゆりこ(1982年7月24日 - )は、石川県出身のタレント。ケイダッシュステージ所属。現存する日本のミス・コンテストで最も古い歴史を持つ「ミス日本」の第36回(2004年度)ミス日本グランプリ受賞者[1]。
来歴
金沢市生まれ[2]。北陸学院中学校・高等学校、フェリス女学院大学国際交流学部卒業[3]。
北陸放送創設家で、北国書林を経営する『嵯峨家』出身。祖父は北陸放送第五代社長の嵯峨逸平、父は北陸放送第六代社長の嵯峨春平、兄はTBSテレビプロデューサーの嵯峨祥平。
2004年度ミス日本グランプリを受賞し芸能界入り。応募書類は母親が出したものだった。
ソニー・ミュージックアーティスツを経て、2009年4月にケイダッシュステージへ移籍。新事務所への移籍と同時に嵯峨百合子からさが ゆりこへ改称。モデルとして、Okazaki Modelsに所属していた。
2005年からスポニチANNEXでプロ野球キャンプコラムを執筆している。また取材時には前述の留学経験を生かし、通訳無しで外国人選手と積極的にコミュニケーションを図っている。
2014年6月に一般男性と結婚した[4]。義父はNSGグループ創始者でアルビレックス新潟会長の池田弘。
2015年3月末で産休に入り、同年7月に第一子(長女)を出産した。
人物
- 趣味はスポーツ観戦、海外旅行、映画鑑賞。一番好きな映画は『トップガン』。戦闘機の音を聞くとテンションが上がる。
- 特技は英会話、仕舞、ピラティス、フラワーアレンジメント。
- 北陸学院高等学校在学中、アメリカ合衆国ワシントン州へ留学、日米両国の高校の卒業証書を持っているため、英会話が堪能である[5]。
- フラワーアレンジはイベントでも披露しているほか、花の専門誌の連載コラムでも紹介されている。
- 能は、幼少期から留学前(高校2年)まで習っていた。以前から祖母が習っており、本人は覚えていないらしいが自ら「習ってみたい」と言ってやり始めたという。
- 「留学したい」と思ったきっかけは、学生時代に見たビバリーヒルズ高校白書シリーズを見たことからだという。舞台の高校で黄色のロッカーを使っており、それを使ってみたいと思ったからという[6]。
- 馬が好きで2頭の一口馬主である[7]。
- ハングル講座に生徒役で出演したことがきっかけで、韓国が好きになり、よく旅行に行く。
- 激走!GTのレギュラーリポーターとなったことがきっかけでレースにハマり、今では男性顔負けなくらいのレース通。プライベートでもレース観戦に行くほどである。
- 友利新(2004年ミス日本コンテストにて準ミス日本を受賞した同窓)と仲が良い。
主な出演
テレビ番組
インターネット放送
CM
- コバック(2004年) - ミス日本受賞時。当時同コンテスト特別協賛者だったことで出演。受賞時のたすき・ティアラを付け演説するというもの。
- 人材派遣会社 ワイズ
- 石川県観光大使
映画
雑誌
脚注
外部リンク
|
---|
激走!GT (2003年4月 - 2010年3月) |
|
---|
SUPER GT+ (2011年4月 - 2022年3月) |
|
---|
番組テーマ曲 |
|
---|
関連項目 | |
---|
1はテレビ東京アナウンサー。 カテゴリ |
|
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 |
- 1970 竹内幸子
- 1971 吉村由美子
- 1972 坂本千桃
- 1973 長谷川みつ美
- 1974 田窪佐和子
- 1976 浅井孝美
- 1977 手塚圭子
- 1978 榎本安江
- 1979 村田知嘉子
|
---|
1980年代 |
- 1980 桑原順子
- 1981 桑原順子
- 1982 峰岸房子
- 1983 山口裕美
- 1984 常岡昭子
- 1985 根本里美
- 1986 中村麻美
- 1987 伊比恵子
- 1988 玉井美香
- 1989 澤本礼江
|
---|
1990年代 |
- 1990 相馬知実
- 1991 岡本恵美
- 1992 藤原紀香
- 1993 小岩井陽子
- 1994 松田直子
- 1995 長井千尋
- 1996 近澤美歩
- 1997 田村桂子
- 1998 和田淑子
- 1999 小松田有理
|
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|