さとうきび畑の唄
『さとうきび畑の唄』(さとうきびばたけのうた)はTBS系にて、2003年9月28日に放送されたスペシャルドラマ。平成15年度文化庁芸術祭テレビ部門大賞受賞作品。日本民間放送連盟賞 NAB Awards 2004 テレビドラマ番組部門において最優秀賞受賞[1]。脚本は遊川和彦、主演は明石家さんま。 概要太平洋戦争の頃の沖縄と沖縄戦を舞台にした物語で、内容は家族の尊さを扱った反戦ドラマである。寺島尚彦の作品「さとうきび畑」をモチーフに作られ、タイトルも同作から付けられていた。また、本作と同じ第二次世界大戦を題材にした映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の日本版を意識して制作されたという。 第9回アジア・テレビジョン・アワード、ドラマ部門最優秀賞、第58回芸術祭テレビ部門大賞を受賞した。平均視聴率26.4%・最高瞬間視聴率32.2%を記録(数字はいずれも関東地区ビデオリサーチ)。TBSはこのドラマ以降、おおむね2-3年ごとに太平洋戦争をテーマにしたドラマを制作している。 主演の明石家さんまは本作への出演を自慢している一方、自身が司会を務めるバラエティ番組では戦争映画特有の過酷な撮影現場を揶揄する発言や撮影時の過酷なエピソードをゲストらに打ち明け、「もう戦争のドラマは2度と出たくない」と語っている。 また、作品の中で、さんまは終始関西弁を用いて演技をしている。これはさんまが演じた『平山幸一』が、大阪の写真館で修行をしていた関西人であり、黒木瞳が演じる良家の子女・美知子に一目ぼれしたうえに、駆け落ちして沖縄に住み着いたという脚本設定からである。 あらすじ
2003年の夏、とある高等学校にて森山良子が『さとうきび畑』を歌っていた。そんな中、学校に通わずに性格も捻くれていた1人の少女がいた。その少女の祖母・幸子は少女に学校に行くよう必死に説得するも、彼女は拒否する。そこで、幸子は自身が生まれた頃、沖縄は戦争で多くの人が犠牲になった事を教え、自身の父親、すなわち少女の曽祖父もその1人だった事を語り始める。 時は遡り1944年(昭和19年)、太平洋戦争真っ最中の沖縄・那覇で小さな写真館を営む平山幸一は、妻の美知子と、小学校教師の紀子との結婚が決まった長男・勇、次男・昇、三男・健、長女・美枝、次女・春子ら5人の子供に恵まれた家庭で平穏な日々を過ごしていた。そんな中、美知子のお腹には6人目の命が宿っていた。 しかし、1944年6月、サイパンの日本軍が玉砕した後、アメリカ軍の沖縄上陸が現実味を帯びることとなり、平山家にも戦争という悲劇が襲いかかることになる。まず、勇に召集令状が届き、昇は通信兵に志願、美枝も従軍看護婦として野戦病院に派遣される。そして、戦況がさらに悪化し、幸一にも召集令状が届く。 1945年4月、ついにアメリカ軍による沖縄上陸が開始し、戦闘が始まる。幸一は戦っている間もカメラを手放さず上官や同僚をからかったり、ギャグを発しては笑わせて写真を撮る。昇は仲間とともにガマに立てこもり、米軍と戦闘をする。美枝は従軍看護師として野戦病院で働き、美知子は子供たちの手助けもあって、無事に第6子の幸子を産む。 やがて平山家は戦いの中で離れ離れになり、幸一と昇、勇は戦死、美枝は部隊が壊滅して行方不明、そして美知子と子供三人はガマに立てこもった末、アメリカ軍に投降する。 そして、1945年6月、沖縄での戦いは終結する。米軍に投降し、難民収容所にいた美知子らは同じく捕虜になっていた美枝と再会。近くにいたアメリカ兵に幸一が亡くなった事を告げられ、幸一の遺品であるカメラが渡される。そのカメラの中には兵隊らの笑顔の写真や、家族の写真がたくさん入っており、「幸一がいたからこそ、戦争中でも皆が笑っていられた」という事を実感した美知子と美枝は泣き崩れる。また、彼女らの元に、同じく戦死した昇からの遺書が届けられる。 再び2003年、祖母の話を聞き終えて「自分は58年前と違って、平和な世の中を生きている」という事を実感した少女は改心し、学校に復学する事を決意する。天国にいる曽祖父に向けて成長した祖母・幸子と携帯電話で写真を撮るのだった。 登場人物
キャスト
その他の出演者 ほか スタッフ
脚注
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