なかよしビクトリーズ
なかよしビクトリーズは、かつてフリーで活動していたお笑いコンビ。当初はホリプロコムに所属していた。 2009年2月1日結成(当時のコンビ名は「オレンジサンセット」)。2016年5月31日に解散し、2018年4月21日に再結成(当時のコンビ名は「新オレンジサンセット」。2019年2月7日に「なかよしビクトリーズ」と改名)するも、2020年10月31日に再解散した[2]。 メンバー岡田 康太(おかだ こうた、1990年9月1日(34歳) - )
下村 達也(しもむら たつや、1990年10月12日(34歳) - )
来歴アマチュア時代中学生の時、岡田は『M-1甲子園』のことを知り、高校生になったら出たいと思い、相方を探しているうちに下村の面白さを知った。中学3年生の時に岡田と下村は同じクラスになり、ある日岡田が下村のそばに来て無理矢理な形で漫才を始めたところ、教室中大爆笑になったという。それまで下村は岡田と話したこともなかったという[7]。 高校進学後、M-1甲子園へ『ロシア計画』というコンビ名で出場。2006年は三重予選大会優勝、2007年、2008年は2年連続で大阪予選大会優勝[7]といった記録を立ち上げる。 プロデビュー2009年、『新しい波16』への出演をきっかけにアマチュアながら『ふくらむスクラム!!』のレギュラーに抜擢される。後続番組『1ばんスクラム!!』にもレギュラー出演(この影響から両者共に平成生まれだがお笑い第7世代でなく、実質的には第6世代に分類される)。 その際に「ロシア計画というコンビ名はテレビ向きじゃないし、名前が怪しいから変えて欲しい」とテレビ局の人に言われたため、『オレンジサンセット』に改名。コンビ名はJUDY AND MARYの曲『Hello! Orange Sunshine』に由来し、「爽やかで響きがいい」という理由で決定した。また、結成以降もこの曲を出囃子として使用している[7]。 2010年1月1日付でホリプロコムに所属。同年のM-1グランプリで3回戦へ進出し、2011年・2014年のTHE MANZAIでは2回戦へ進出。 一度目の解散2016年5月13日、ホリプロコム公式ホームページにて同月31日をもって解散する事が発表された。また、同日に双方のブログにて2016年3月29日に下村が岡田に芸人引退の意向を申し入れていた事が明かされた[8][9]。下村は芸能界を引退。岡田は芸人活動を継続するも、ホリプロコムを退社。 2016年7月30日、岡田が新コンビ結成記者会見を開催し、宰務翔太(元サンストレンジ)と「プルメリアンズ」を結成する事を発表[10][11]。当初はフリーで活動していたが2017年に「カハラ」と改名し、吉本興業所属となる。しかし、2017年10月に解散[12]。 再結成、その後2018年4月21日、下村の芸能界復帰が決まり『新オレンジサンセット』として再結成[13]。同日に下北沢シアターミネルヴァにて、トークライブ「助長〜erection〜」を開催。同年5月5日に同会場にて、フワちゃん・こゝろ・ドラゴンヘルパー竜介をゲストに迎え、単独ライブ「復活〜booger〜」を開催する。 2019年2月7日深夜放送の「四千頭身のオールナイトニッポン0(ZERO)」にゲスト出演し、番組内で新オレンジサンセットを改名させるコーナーが展開された。リスナーが提案した「なかよし」、四千頭身・石橋が提案した「ビクトリー」を採用する形で、『なかよしビクトリーズ』に改名する事が決定[14]。 2019年5月に下村がIgA腎症に罹患したことが判明し、療養の為コンビでの活動を休止。しかしその後も入退院を繰り返しながら活動を再開し、同年のM-1グランプリでは3回戦へと進出した。 2020年10月24日、自身のネットラジオ番組「なかよしビクトリーズのオレンジサンセット」放送内にて、同月31日をもって再解散する事が発表された[15]。 賞レース戦績ロシア計画(アマチュア時代)
オレンジサンセット
新オレンジサンセット
なかよしビクトリーズ出演テレビ
CMラジオ
ネット配信
ネットラジオ
脚注
外部リンク
岡田
下村
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