アジョ・モータースポーツ
アジョ・モータースポーツ ( Ajo Motorsport ) は、フィンランドのオートバイレーシングチーム。現在ロードレース世界選手権Moto3クラスに参戦している。チーム代表は元レーサーのアキ・アジョ。 チームの歴史2001年チームのロードレース世界選手権デビューは、ミカ・カリオをライダーにワイルドカード枠で125ccクラスに参戦した2001年の第9戦ドイツGPだった。その後第12戦バレンシアGPにも出場した。チームが使用したマシンはエントリー上はホンダとなっていたが、エンジンはチーム自身が作成したものだった。 2002年2002年、チームはカリオをライダーにロードレース世界選手権125ccクラスにフル参戦を果たした。カリオは第3戦スペインGPで5位に入ったのがベストリザルトとなり、シリーズランキング11位を記録。アンドレア・ドヴィツィオーゾ、ホルヘ・ロレンソらライバルを破ってルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。 2003年2003年シーズンは体制を拡大し、カリオのチームメイトに日本の東雅雄が加入した。カリオは8月にKTMのワークスチームに引き抜かれ、後釜にはアンドレア・バレリーニが就いた。第15戦オーストラリアGPではバレリーニ1位、東2位で1-2フィニッシュを成し遂げた。アジョ・チームは濡れた路面に強いブリヂストンタイヤを武器に、ウェットレースを中心に好成績を残した。 2004年2004年はライダーが一新され、チェコのルーカス・ペセックとデンマークのロビン・ハームスのペアとなった。しかしこの年ペセックはクラッシュを繰り返し、ハームスも何度か負傷を負い、期待はずれのシーズンに終わった。ペセックは翌シーズンデルビに移籍する。 2005年2005年は日本の小山知良とフランスのアレックス・マスボーの2人がライダーになった。小山はオーストラリアGPで2位、トルコGPで3位、シリーズランキングでは8位に入り、チームにとっては2度目となるルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。 2006年2006年シーズンはライダーに変更はなかったが、マシンをこれまでのホンダからマラグーティに変更した。両ライダーとも怪我に苦しむシーズンとなってしまい、マスボーは僅か8戦しか出場できずノーポイント、小山もポルトガルGPで6位に入ったのがベストとなりシリーズ15位と成績を落とした。 2007年2007年はマシンを再び変更しデルビで戦うことになった。ライダーラインナップも一新されオーストリアのミハエル・ランセデールとルーマニアのロベルト・ムレサンのペアとなった。ランセデールは13レースで入賞しシリーズ12位に入ったが、ムレサンはノーポイントに沈んだ。 2008年2008年シーズンはマシンは引き続きデルビ、ライダーにはフランスのマイク・ディ・メッリオとスイスのドミニク・エガーターが就いた。ディ・メッリオはシーズン4勝を挙げ、チームに初のワールドタイトルをもたらした。エガーターは3度8位に入ったのがベストリザルトでシリーズ16位だった。 2009年2009年、250ccクラスにステップアップしていったディ・メッリオに代わり、ドイツのサンドロ・コルテセがエガーターのチームメイトになった。コルテセは第14戦ポルトガルGPでの2位をはじめ3度表彰台に立ちシリーズ6位に入った。エガーターはフランスGPでの6位がベストでシリーズ13位だった。 2010年2010年シーズンは、コルテセのチームメイトにスペインのマルク・マルケスが加入した。コルテセはフィンランドの作業用車両メーカーのアヴァンと三菱自動車が、マルケスはレッドブルとレプソルがメインスポンサーとなり、エントリー上は別々のチーム名となった。マルケスは10勝を挙げる圧倒的な強さを見せてシーズンを席巻、チームに2度目のライダーズタイトルをもたらした。コルテセは2度の表彰台でランキング7位に留まった。 またこのシーズン、新しく始まったMoto2クラスにはアレックス・デボンが、125ccクラスにはアドリアン・マルティンが「アエロポルト・デ・カステロ・アジョ」として参戦したが、これはアキ・アジョが持っていた参戦枠をデボンに譲ったものであり、実際にチームを運営したのはデボン自身が立ち上げた「モータースポーツ69」チームであった[1]。 2011年2011年シーズンはライダーラインナップを一新し、エフレン・バスケスとヨハン・ザルコの2名を迎える[2]。また新たにジュニアチームを立ち上げることとなり、「レッドブル・アジョ・モータースポーツ」の名前でジョナス・フォルガーとダニー・ケントの2人が参戦する。さらにはマレーシアのズルファミ・カイルディンも別スポンサーのマシンで参戦し、チーム全体としてはライダー5人の大所帯となった[3]。 2021年Moto22021年シーズンは、活動休止を発表した長島哲太[4]やMotoGPクラスへ参戦することになったホルヘ・マルティンに変わって、ワイン・ガードナーの息子で、マレーシアのチームに在籍していたレミーとMoto3クラスで同チームから参戦したラウル・フェルナンデスを迎えることになった。マシンは前年に続きカレックスで戦う。ラウル・フェルナンデスとレミー・ガードナーの最終戦までの激闘の末ガードナーがタイトルを獲得した。 Moto32021年シーズンはライダーラインナップを一新し、Moto2へステップアップしたラウル・フェルナンデスとフランスのチームに移籍した鳥羽海渡に代わって、ジャウマ・マシアとペドロ・アコスタの2名を迎える。序盤4戦が2者共に優勝を飾り、早くも初のチームタイトル獲得に近づけていく。年間を通してポールポジションとファステストラップの獲得数は他のチームに比べて少ないが、アコスタがデビューイヤーにチャンピオンを獲得してシーズンを終えた。 MotoEニキ・トゥーリがスーパースポーツ世界選手権に復帰するため大久保光が日本人初のMotoEデビュー。ライダーズランキング11位でシーズンを終えた。 2022年Moto22022年シーズンは、Moto3チャンピオンを獲得したアコスタとマルクVDSレーシングチームに所属していたアウグスト・フェルナンデスが加入。 Moto32022年シーズンは、マシアのチームメイトにレッドブル・KTM・テック3に代役参戦したダニエル・オルガドが加入。 MotoE引き続き大久保が参戦[5]。 2025年代表のアジョがレッドブル・KTM・ファクトリーレーシングのチームマネージャーに就任される[6]。 脚注
外部リンク
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