アメリカン・フットボール・リーグ(英語: American Football League、略称:AFL)は、かつてアメリカ合衆国に存在したアメリカンフットボールのプロリーグである。
同名のリーグは過去に何度か存在したが、最も有名なものは1960年から1969年にかけて存在し、1970年にライバルであるNFL(National Football League)と合併したリーグである。当記事ではこのリーグについて述べる。
歴史
1959年、ラマー・ハント(ダラス・テキサンズ→カンザスシティ・チーフス創設者・オーナー)が、当時NFLのフランチャイズがなかったダラスにチームを誘致しようとしたがNFLオーナーの反対に遭い、同じく石油王だったバド・アダムス(英語版)(ヒューストン・オイラーズ→テネシー・タイタンズ創設者・オーナー)らを誘い、プロフットボールの新リーグを設立[1] 。
当初、ボストン、ニューヨーク、バッファロー、ミネアポリス、ヒューストン、ダラス、デンバー、ロサンゼルスの8都市にフランチャイズを置く予定だったが、NFLがミネアポリスのオーナーに働きかけ、フランチャイズを与えることで鞍替えさせることに成功(現ミネソタ・バイキングス)、新たにオークランドを加えて発足した。NFLはハントがオーナーのテキサンズに対抗してダラスにもフランチャイズを与える(現ダラス・カウボーイズ)など、AFL潰しといえる方策をとった[2]。
1960年、8チームにより最初のシーズンが行われたが、当初は集客に苦戦し、当初ロサンゼルスにフランチャイズを置いたチャージャーズはNFLのロサンゼルス・ラムズとの競合もあり1962年にサンディエゴに移転している。テキサンズもカウボーイズに対し劣勢であったため、1963年にカンザスシティに移転した。
しかし、設立時よりABCと5年間の放映権契約を結び、その放映権収入を各チームに分配したことから、過去にNFLに対抗して生まれすぐに消滅したリーグと異なり、各チームに収入の安定をもたらし、リーグの存続につながった。1961年にリーグと放送局の独占契約を可能とする法律が可決されたことから、NFLも翌1962年シーズンよりCBSと放映権契約を結び、同様に放映権収入を各チームに分配した。
やがてAFLがNFLの有力な競合相手として成長し、1965年には新たにNBCと5年間で3600万ドル[3]という放映権契約を結んだ。同時期のNFLは14チームで1964年と1965年の2年間で2820万ドル[4]だったので、1チームあたりの放映権料はNFLに肉薄した。
そのため、分配金による潤沢な資金を得た各チームにより、ドラフトによる両リーグ間での選手の奪い合いや契約金の高騰といった弊害が生じ、ハントとNFLコミッショナーのピート・ロゼール(英語版)との間で会談が行われ、1966年6月に両リーグの合併が合意に達した。ただし、ドラフトは1967年から統一して行うものの、1966年シーズンから1969年シーズンまでの4シーズンはリーグとしてのAFLは存続。シーズン最後にAFLとNFLのチャンピオンチームが対戦する「AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム」が行われることになった。
当時は新興リーグのAFLは格下とみられており、事実、第1回(1966年)、第2回(1967年)はNFLのグリーンベイ・パッカーズがAFL勢を下して連覇した。しかし、ハントの提案による「スーパーボウル」が正式名称となった第3回(1968年)でAFLのニューヨーク・ジェッツが下馬評を覆して勝利。AFL-NFL対抗戦としては最後となった第4回(1969年)もチーフスが勝利したことにより、対戦成績は2勝2敗の五分となった。
1970年シーズンのリーグ統合により、AFLはアメリカン・フットボール・カンファレンス(AFC)、旧NFLはナショナル・フットボール・カンファレンス(NFC)となった。しかし、旧NFL16チームに対してAFLは10チーム(1966年にマイアミ・ドルフィンズ、1968年にシンシナティ・ベンガルズがエクスパンションにより誕生)だったことから、チーム数を揃えるため旧NFLからAFCに3チームが編入された。
なお、AFLでの記録はすべてNFLの公式記録として扱われている。例えば、ポイント・アフター・タッチダウンでのツーポイント・コンバージョンはNFLでは1994年シーズンに初めて採用されたが、AFLでは発足時から採用されていたため、この時代の記録もNFL記録として認められている。
加盟チーム
順位変動
東地区
年 |
地区優勝 |
2位 |
3位 |
4位 |
5位
|
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分
|
1969
|
NY(d) |
10 |
4 |
0
|
HOU(d) |
6 |
6 |
2
|
BOS |
4 |
10 |
0
|
BUF |
4 |
10 |
0
|
MIA |
3 |
10 |
1
|
1968
|
NY(V) |
11 |
3 |
0
|
HOU |
7 |
7 |
0
|
MIA |
5 |
8 |
1
|
BOS |
4 |
10 |
0
|
BUF |
1 |
12 |
1
|
1967
|
HOU(a) |
9 |
4 |
1
|
NY |
8 |
5 |
1
|
BUF |
4 |
10 |
0
|
MIA |
4 |
10 |
0
|
BOS |
3 |
10 |
1
|
1966
|
BUF(a) |
9 |
4 |
1
|
BOS |
8 |
4 |
2
|
NY |
6 |
6 |
2
|
HOU |
3 |
11 |
0
|
MIA |
3 |
11 |
0
|
1965
|
BUF(a) |
10 |
3 |
1
|
NY |
5 |
8 |
1
|
BOS |
4 |
8 |
2
|
HOU |
4 |
10 |
0
|
1964
|
BUF(v) |
12 |
2 |
0
|
BOS |
10 |
3 |
1
|
NY |
5 |
8 |
1
|
HOU |
4 |
10 |
0
|
1963
|
BOS(a) |
7 |
6 |
1
|
BUF(d) |
7 |
6 |
1
|
HOU |
6 |
8 |
0
|
NY |
5 |
8 |
1
|
1962
|
HOU(a) |
11 |
3 |
0
|
BOS |
9 |
4 |
1
|
BUF |
7 |
6 |
1
|
NY |
5 |
9 |
0
|
1961
|
HOU(v) |
10 |
3 |
1
|
BOS |
9 |
4 |
1
|
NY |
7 |
7 |
0
|
BUF |
6 |
8 |
0
|
1960
|
HOU(v) |
10 |
4 |
0
|
NY |
7 |
7 |
0
|
BUF |
5 |
8 |
1
|
BOS |
5 |
9 |
0
|
西地区
年 |
地区優勝 |
2位 |
3位 |
4位 |
5位
|
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分 |
チーム |
勝 |
負 |
分
|
1969
|
OAK(a) |
12 |
1 |
1
|
KC(V) |
11 |
3 |
0
|
SD |
8 |
6 |
0
|
DEN |
5 |
8 |
1
|
CIN |
4 |
9 |
1
|
1968
|
OAK(a) |
12 |
2 |
0
|
KC |
12 |
2 |
0
|
SD |
9 |
5 |
0
|
DEN |
5 |
9 |
0
|
CIN |
3 |
11 |
0
|
1967
|
OAK(s) |
13 |
3 |
0
|
KC |
9 |
5 |
0
|
SD |
8 |
5 |
1
|
DEN |
3 |
11 |
0
|
1966
|
KC(s) |
11 |
2 |
0
|
OAK |
8 |
5 |
1
|
SD |
7 |
6 |
1
|
DEN |
4 |
10 |
0
|
1965
|
SD(a) |
9 |
2 |
3
|
OAK |
8 |
5 |
1
|
KC |
7 |
5 |
2
|
DEN |
4 |
10 |
0
|
1964
|
SD(a) |
8 |
5 |
1
|
KC |
7 |
7 |
0
|
OAK |
5 |
7 |
2
|
DEN |
2 |
11 |
1
|
1963
|
SD(v) |
11 |
3 |
0
|
OAK |
10 |
4 |
0
|
KC |
5 |
7 |
2
|
DEN |
2 |
11 |
1
|
1962
|
DAL(v) |
11 |
3 |
0
|
DEN |
7 |
7 |
0
|
SD |
4 |
10 |
0
|
OAK |
1 |
13 |
0
|
1961
|
SD(a) |
12 |
2 |
0
|
DAL |
6 |
8 |
0
|
DEN |
3 |
11 |
0
|
OAK |
2 |
12 |
0
|
1960
|
LA(a) |
10 |
4 |
0
|
DAL |
8 |
6 |
0
|
OAK |
6 |
8 |
0
|
DEN |
4 |
9 |
1
|
AFLチャンピオンシップゲーム
AFLチャンピオンシップゲーム
年度 |
日時 |
優勝 |
スコア |
敗退 |
MVP |
開催地 |
観衆
|
1960
|
1961年1月1日
|
ヒューストン・オイラーズ (1)
|
24 - 16
|
ロサンゼルス・チャージャーズ
|
ビリー・キャノン (RB)
|
ヒューストン
|
32,183
|
1961
|
1961年12月24日
|
ヒューストン・オイラーズ (2)
|
10 - 03
|
サンディエゴ・チャージャーズ
|
ビリー・キャノン (RB)
|
サンディエゴ
|
29,556
|
1962
|
1962年12月23日
|
ダラス・テキサンズ (1)
|
20 - 17 (2OT)
|
ヒューストン・オイラーズ
|
ジャック・スパイクス (RB)
|
ヒューストン
|
37,981
|
1963
|
1964年1月5日
|
サンディエゴ・チャージャーズ (1)
|
51 - 10
|
ボストン・ペイトリオッツ
|
ケイス・リンカーン (RB)
|
サンディエゴ
|
30,127
|
1964
|
1964年12月26日
|
バッファロー・ビルズ (1)
|
20 - 07
|
サンディエゴ・チャージャーズ
|
ジャック・ケンプ (QB)
|
バッファロー
|
40,242
|
1965
|
1965年12月26日
|
バッファロー・ビルズ (2)
|
23 - 00
|
サンディエゴ・チャージャーズ
|
ジャック・ケンプ (QB)
|
サンディエゴ
|
30,361
|
1966
|
1967年1月1日
|
カンザスシティ・チーフス (2)
|
31 - 07
|
バッファロー・ビルズ
|
レン・ドーソン (QB)
|
バッファロー
|
42,080
|
1967
|
1967年12月31日
|
オークランド・レイダース (1)
|
40 - 07
|
ヒューストン・オイラーズ
|
ダリル・ラモニカ (QB)
|
オークランド
|
53,330
|
1968
|
1968年12月29日
|
ニューヨーク・ジェッツ (1)
|
27 - 23
|
オークランド・レイダース
|
ジョー・ネイマス (QB)
|
ニューヨーク
|
62,627
|
1969
|
1970年1月4日
|
カンザスシティ・チーフス (3)
|
17 - 07
|
オークランド・レイダース
|
オーティス・テイラー (WR)
|
オークランド
|
53,561
|
オールタイムAFLチーム
1969年、AFL殿堂入り選考委員が選定[5]。
脚注
関連項目