アンソニー・バージェス
アンソニー・バージェス(Anthony Burgess, 1917年2月25日 - 1993年11月22日)は、イギリスの小説家、評論家、作曲家。翻訳出版物ではアントニイ・バージェスと表記される。 詩人、脚本家、ジャーナリスト、エッセイ、旅行記、翻訳なども携わり、東南アジア、アメリカ合衆国、中央ヨーロッパなど様々な場所に暮らし、著作活動を行った。 生い立ちジョン・バージェス・ウィルソン (John Burgess Wilson) は、マンチェスターのハーパーヘイに、カトリックの父親とプロテスタントの母親の間に生まれる。幼少時はジャックと呼ばれ、堅信式の後にアンソニーと名付けられてアンソニー・バージェス・ウィルソンとなる。1956年からペンネーム「アンソニー・バージェス」を使い始める。 アンソニーが1歳の時、母エリザベス・バージェス・ウィルソンは、スペイン風邪(1918年から1920年にかけ世界各地で流行した)で死去した。妹のマリエルも同じくスペイン風邪により亡くなった。母エリザベスは地元の女優およびダンサーであり、マンチェスターの音楽ホールのステージを踏んでいた。彼女の芸名はバージェスによると「ザ・ビューティフル・ベレ・バージェス」であったという。 父ジョセフ・ウィルソンは1938年に死去した。バージェスは父を「アウグスチヌス主義のカトリック教徒」と評した。父はブックメーカー、無声映画の伴奏ピアニスト、百科事典のセールスマン、肉屋、タバコ屋と様々な職を手につけたが、それなりに裕福ではあった。ジョセフは妻の死後、パブの女主人と再婚したが、バージェスは「ほとんど酔っぱらって不在であり、自分のことを“とうちゃん”と称した」と書いている。 バージェスは母方の叔母によって育てられ、父親の再婚後は継母に育てられた。なお居住した家は叔母が経営したタバコ・酒類販売店の上にあった。 1993年11月22日に、肺がんによりロンドンで死去。76歳没。 主な作品小説
絵本その他
映画
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