アンドリュー・ヒル (Andrew Hill 、1931年 6月30日 [ 1] - 2007年 4月20日 )は、アメリカ のジャズ ・ピアニスト、作曲家。ブルーノート・レコード において10年近く録音を行い、12枚のアルバムを制作していた。
ジャズ評論家のジョン・フォーダムは、ヒルを「ユニークな才能のある作曲家、ピアニスト、教育者」だが、「彼のキャリアのほとんどの間、彼の地位は主にジャズの世界の知識の中に残っていました」と表現した[ 2] 。
生い立ち
アンドリュー・ヒルは、イリノイ州 シカゴ にて、ウィリアム・ヒルとハティ・ヒルの間に生まれた(多くの初期のジャズ解説書で報告されているハイチ のポルトープランス 生まれではなく、また1937年の生まれでもない)[ 3] 。兄のロバートは歌手でありクラシック・ヴァイオリン奏者だった[ 4] 。13歳のときにピアノを始め、アール・ハインズ に演奏を促された。子供の頃、彼はシカゴ大学実験学校に通った[ 5] 。ジャズ作曲家のビル・ルッソからパウル・ヒンデミット を紹介され、1952年まで非公式に師事した。
10代の頃は、リズム・アンド・ブルース ・バンドや、チャーリー・パーカー 、マイルス・デイヴィス などのジャズ ・ミュージシャンのツアーに参加し、演奏していた。1964年のレナード・フェザー とのインタビューで、ヒルは若かりし頃の経験をいくつか語っている。「私はボーイ・ソプラノとして音楽を始め、歌とアコーディオン を演奏し、タップダンスを踊った。1943年から1947年まで、街で開催されるタレント・ショーに出演していたんだ。リーガル・シアターで行われた2回の感謝祭パーティーで七面鳥を勝ち取ったよ」。パーティーは、偶然にもヒルが路上で売っていた新聞「シカゴ・ディフェンダー」が主催していたものだった[ 4] 。
略歴
1950年、ヒルはサックス奏者のパット・パトリックから初めてピアノによるブルース形式 を学び、1953年にはポール・ウィリアムズのバンドでミュージシャンとして初めてプロとしての仕事をすることになる。「当時はね」と彼は回想し、「ピアノだけでなくバリトンサックスも演奏していたんだ」と語っている[ 6] 。その後の数年間に、ピアノのライブで多くのミュージシャンと接触し、その中には影響を受けたミュージシャンもいた。ジョー・シーガルやバリー・ハリス などである。1961年、ダイナ・ワシントン の伴奏者としてツアーを行った後、1961年、若かりしピアニストはニューヨークに落ち着き[ 2] 、ジョニー・ハートマン やアル・ヒブラーのもとで働き、その後、ロサンゼルス郡 に一時的に移り、ローランド・カーク のカルテットとハモサビーチ のジャズ・クラブ、ライトハウス・カフェで働くようになった。
ヒルは1954年に初めてサイドマンとして録音を行い、1963年から1970年にかけてブルーノート にリーダーとして録音し、ジョー・チェンバース 、リチャード・デイヴィス、エリック・ドルフィー 、ボビー・ハッチャーソン 、ジョー・ヘンダーソン 、フレディ・ハバード 、エルヴィン・ジョーンズ 、ウディ・ショウ 、トニー・ウィリアムス 、ジョン・ギルモアなどのポスト・バップ の重要なミュージシャンが参加して評判を得た。ヒルはヘンダーソン、ハッチャーソン、そしてハンク・モブレー のアルバムにも参加している。ボビー・ハッチャーソンのアルバム『ダイアローグ』では、5曲のうち3曲が彼の作曲によるものである[ 7] 。
1960年代以降、ヒルはサイドマンとして活動することはほとんどなく、自作曲を演奏することを好んだ。このため、世間への露出は限られていたかもしれない。その後、カリフォルニアで教鞭をとり、1989年から1996年までポートランド州立大学 でテニュア・トラック教員の任に就いた。ポートランド州立大学在籍中は、サマー・ジャズ・インテンシヴ・プログラムを立ち上げたほか、ウェズリアン大学 、ミシガン大学 、トロント大学 、ハーバード大学 、ベニントン・カレッジなどで演奏、ワークショップ、レジデンスに参加した[ 8] 。
ヒルのアルバム『Dusk』は『ダウン・ビート 』誌と『ジャズタイムズ 』誌によって2001年のベスト・アルバムに選ばれ、2003年にはジャズパー賞 を受賞した[ 2] 。ヒルの初期の作品は、ブルーノートで1960年代に録音したいくつかの未発表セッション、特に大編成の意欲作『Passing Ships』が遅れてリリースされたことにより、再び注目を集めるようになった。2004年にはテレビ・シリーズ『SOLOS: The Jazz Sessions』に登場した(後にDVD化されている)[ 9] 。2006年2月21日、ブルーノートでの新譜『Time Lines』が発売された。
2007年3月29日、ニューヨークのトリニティ教会 にて、最後の公の場での演奏を行った。
私生活
ハモサビーチのライトハウス・カフェで働いていた時に、後に妻となるラヴァーン・ジレットと出会う[ 10] 。当時はレッド・カーペットのオルガニストだった。1963年に結婚し、ニューヨークへ移住した[ 4] 。
ラヴァーンは長い闘病生活の後、2人が定住していたカリフォルニアで1989年に死去した[ 11] 。1992年にポートランドでダンサー兼教育者のジョアン・ロビンソン・ヒルと再婚。1995年に再びニューヨークへ移住。2000年からは、ヒルとその妻はニュージャージー州 ジャージーシティ に暮らした[ 11] 。
アンドリュー・ヒルは晩年、肺がんを患った。そして、ニュージャージー州ジャージーシティの自宅で死去した[ 12] [ 13] 。
2007年5月、彼はバークリー音楽大学 から、死後初めて名誉博士号を授与された。
演奏スタイル
ヒルが主に影響を受けたピアニストはセロニアス・モンク 、バド・パウエル 、アート・テイタム である。「モンクは私にとってラヴェル やドビュッシー と同じで、彼の演奏には多くの個性が込められている。[…]最終的に音楽を作るのは個性だ」と彼は1963年のA・B・スペルマンとのインタビューで語っている。パウエルはさらに大きな影響を与えたが、ヒルは彼の音楽は行き詰まると考えていた。「バドと一緒にいすぎると、たとえ彼がやらなかったことをやっていても、いつも彼のように聴こえてしまうんだ」。ヒルはテイタムを「すべてのモダンなピアノ演奏」の典型と呼んだ[ 5] 。
ディスコグラフィ
リーダー・アルバム
『ソー・イン・ラヴ』 - So in Love (1960年、Warwick) ※トリオ
『ブラック・ファイア』 - Black Fire (1964年、Blue Note) ※カルテット
『ジャッジメント』 - Judgment! (1964年、Blue Note) ※カルテット
『ポイント・オブ・ディパーチャー 』 - Point of Departure (1965年、Blue Note) ※セクステット
『スモーク・スタック』 - Smoke Stack (1966年、Blue Note) ※トリオ
『コンパルション』 - Compulsion!!!!! (1967年、Blue Note)
『アンドリュー!!!』 - Andrew!!! (1968年、Blue Note) ※クインテット
『グラス・ルーツ』 - Grass Roots (1968年、Blue Note)
『リフト・エヴリ・ヴォイス』 - Lift Every Voice (1970年、Blue Note)
『インヴィテーション 』 - Invitation (1975年、SteepleChase) ※トリオ
One for One (1975年、Blue Note)
『スパイラル』 - Spiral (1975年、Freedom)
『オマージュ』 - Hommage (1975年、East Wind) ※ソロ・ピアノ
『ライヴ・アット・モントルー』 - Live at Montreux (1975年、Freedom) ※ソロ・ピアノ
『ディヴァイン・レヴェレーション』 - Divine Revelation (1976年、SteepleChase)
『ネフェルティティ 』 - Nefertiti (1976年、East Wind) ※トリオ
『ブルー・ブラック』 - Blue Black (1977年、East Wind) ※カルテット
『カリフォルニア・ピアノ』 - From California with Love (1979年、Artists House) ※ソロ・ピアノ
『ダンス・ウィズ・デス』 - Dance with Death (1980年、Blue Note) ※クインテット
Strange Serenade (1980年、Soul Note) ※トリオ
Faces of Hope (1980年、Soul Note) ※ソロ・ピアノ
Verona Rag (1987年、Soul Note) ※ソロ・ピアノ
Shades (1988年、Soul Note)
Les Trinitaires (1988年、Jazzfriends) ※ソロ・ピアノ
『エターナル・スピリット 』 - Eternal Spirit (1989年、Blue Note) ※クインテット
『さよならは言わない』 - But Not Farewell (1991年、Blue Note)
Dusk (2000年、Palmetto)
A Beautiful Day (2002年、Palmetto) ※ビッグバンド
Passing Ships (2003年、Blue Note)
The Day the World Stood Still (2003年、Stunt)
Pax (2006年、Blue Note) ※クインテット
Time Lines (2006年、Blue Note)
Change (2007年、Blue Note) ※クインテット
Dreams Come True (2008年、Joyous Shout!) ※with チコ・ハミルトン
コンピレーション・アルバム
The Complete Blue Note Andrew Hill Sessions (1963-66) (1995年、Mosaic)[ 14]
Mosaic Select 16: Andrew Hill (2005年、Mosaic)
Mosaic Select 23: Andrew Hill-Solo (2007年、Mosaic)
参加アルバム
ウォルト・ディッカーソン
『トゥ・マイ・クイーン』 - To My Queen (1963年、New Jazz)
ローランド・カーク
『ドミノ 』 - Domino (1962年、Mercury)
ジミー・ウッズ
『コンフリクト』 - Conflict (1963年、Contemporary)
ハンク・モブレー
『ノー・ルーム・フォー・スクエアーズ』 - No Room for Squares (1964年、Blue Note)
ジョー・ヘンダーソン
『アワ・シング』 - Our Thing (1963年、Blue Note)
ボビー・ハッチャーソン
『ダイアローグ』 - Dialogue (1965年、Blue Note)
ラッセル・ババ
Earth Prayer (1992年、Ruda Music)
レジー・ワークマン
『サミット・コンフェランス』 - Summit Conference (1994年、Postcards)
グレッグ・オズビー
The Invisible Hand (2000年、Blue Note)
脚注
^ Mandel, Howard (April 20, 2007) "Andrew Hill: 1931–2007" All About Jazz . Archived September 14, 2007, at the Wayback Machine . Retrieved April 20, 2007. During his lifetime, Hill's year of birth was always given as 1937.
^ a b c Fordham, John (April 23, 2007). “Andrew Hill” . The Guardian . https://www.theguardian.com/news/2007/apr/23/guardianobituaries.obituaries2 March 11, 2018 閲覧。
^ “Forty years on, this is your Haitian divorce ” (英語). The Independent (2003年5月12日). 2009年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2020年1月9日 閲覧。
^ a b c Feather, Leonard. Original liner notes to Judgment!
^ a b Spellman, A. B. Original liner notes to Black Fire .
^ Rosenthal, David (1992). Hard bop: Jazz and Black music, 1955-1965 . New York: Oxford University Press. ISBN 0195085566 . OCLC 23693923
^ Litweiler, John (1984), The Freedom Principle: Jazz After 1958 . Da Capo, pp. 116–118.
^ "Andrew Hill: Biography" Boosey & Hawkes Retrieved August 14, 2008.
^ Andrew Hill – Solos: The Jazz Sessions(2010,DVD) - Discogs
^ Original liner notes to Smokestack .
^ a b Ratliff, Ben (February 24, 2006). “Andrew Hill: One Man's Lifelong Search for the Melody in Rhythm” . https://www.nytimes.com/2006/02/24/arts/music/andrew-hill-one-mans-lifelong-search-for-the-melody-in-rhythm.html March 11, 2018 閲覧。
^ Ratliff, Ben (April 21, 2007). “Andrew Hill, 75, Jazz Artist Known for His Daring Style, Dies” . The New York Times . https://www.nytimes.com/2007/04/21/arts/21hill.html January 2, 2008 閲覧 . "Andrew Hill, a pianist and composer of highly original and sometimes opaquely inner-dwelling jazz whose work only recently found a wide audience, died yesterday at his home in Jersey City. He was 75."
^ "The State of Jazz: Meet 40 More Jersey Greats" , The Star-Ledger , September 28, 2003, backed up by the Internet Archive as of September 27, 2008. Accessed September 15, 2017. "Andrew Hill -- Pianist and composer Hill, who lives in Jersey City, is an artist who can meld the past modes of jazz with its current streams."
^ “Andrew Hill - Mosaic ”. 2022年6月18日 閲覧。
外部リンク