エミル・コスタディノフ
エミル・コスタディノフ(Емил Костадинов、Emil Kostadinov、1967年8月12日 -)は、ブルガリアの元サッカー選手。ポジションはMF(攻撃的MF)、FW。 来歴コスタディノフは1985年にCSKAソフィア選手経歴を始めると、1980年代後半にはフリスト・ストイチコフやリュボスラフ・ペネフらと共に、ブルガリアリーグ優勝3回、ブルガリアカップ優勝3回、1988-89シーズンのUEFAカップウィナーズカップ準決勝進出に貢献した。1990年にポルトガルのFCポルトへ移籍すると、2度のリーグ優勝(1992年、1993年)に貢献した[1]。1994年にはスペインのデポルティボ・ラ・コルーニャでプレーした。 1995年にはドイツのバイエルン・ミュンヘンへレンタル移籍[2]、UEFAカップ1995-96優勝に貢献した[3]。しかしフランツ・ベッケンバウアー会長は、「代表では活躍しているが、チームでは実力を25パーセントしか発揮していないと。」嘆き[2]、レンタル期限は延長されなかった。UEFAカップ1995-96決勝、第2戦では先発起用されると、1得点を挙げて優勝に貢献した。 ブルガリア代表としては1988年12月24日に行われたUAE代表戦でデビューを飾り、この試合で初得点を決めた[4]。FIFAワールドカップ・アメリカ大会予選では、1993年11月13日にフランス・パリのパルク・デ・プランスで行われた最終戦のフランス代表戦において、37分にクラシミール・バラコフのコーナーキックから同点となるヘディングシュートを決め、試合終了間際の89分にはリュボスラフ・ペネフのパスから決勝点を決め本大会出場に導いた(パリの悲劇)[1][5]。 翌1994年の本大会においても7試合にフル出場し[4]、同国の過去最高の成績となる4位に貢献。1996年のUEFA EURO '96や1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会にも出場し[4]、1998年6月24日に行われたワールドカップグループリーグ最終戦、スペイン代表戦(試合は1-6でブルガリアの敗退)が代表として最後の試合と得点となった[3][4]。代表での通算成績は国際Aマッチ70試合出場27得点[4]。 ワールドカップ終了から1年後の1999年、1.FSVマインツ05に在籍したのを最後に現役を引退した。引退後は2000年から2001年、2006年から2009年にかけて古巣のCSKAソフィアでテクニカルディレクターを務めた[3]。 代表歴出場大会試合数
個人タイトル
脚注
外部リンク
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