エルモア・ジョン・レナード・ジュニア (Elmore John Leonard Jr., 1925年 10月11日 - 2013年 8月20日 )は、アメリカ合衆国 ルイジアナ州 ニューオーリンズ 出身の小説家、脚本家。男臭く、歯に衣着せない表現の独特な犯罪小説で知られる。1984年、『ラブラバ』でエドガー賞 最優秀長篇賞。1991年 にはMaximum Bob で第一回ハメット賞 を受賞、1992年にはアメリカ探偵作家クラブ 巨匠賞を受賞した。
経歴
1925年に生まれたレナードは、ゼネラルモーターズ に勤めていた父の仕事の都合で1925年から1934年まで引っ越しを繰り返した。 ダラス 、オクラホマシティ 、メンフィス を経て、1934年に一家はミシガン州 のデトロイト に落ち着き、以来レナードは、この一帯を自身の郷里とした。
1930年代 に、彼の作品の多くに影響を及ぼす2つの主要な出来事があった。ギャング とデトロイト・タイガース が全国的ニュースになっていた。1931年頃から1934年5月に殺されるまでボニーとクライド(後年の映画『俺たちに明日はない 』で有名)は暴れまわった。タイガースが1934年にワールドシリーズ に勝ち進み、1935年に優勝した。スポーツと銃はともにその後の彼を魅了するようになった。
1935年、5年生のときにレマルク の『西部戦線異状なし 』に触発されて芝居の台本を書き、教室で上演した。ハイスクール時代は文章を書かず、野球とフットボールに打ち込んでいた。この頃、同級生に(ワシントン・セネタース の投手だったエミル・“ダッチ”・レナード にならって)「ダッチ」というあだ名を付けられた。
1943年 にデトロイト大学イエズス会士高校を卒業。海兵隊 に志願するが目が悪いため拒否され、海軍 のシービー (建設部隊)に入隊し、南太平洋で3年間勤務した。 1946年 に除隊してデトロイト大学に入学。1947年 、GMを辞めたレナードの父は自動車販売をはじめるためにニューメキシコ州に移り住んだ。レナードは卒業後は父のもとで働くつもりでいたが、父は半年で急死した。その後は作家を志して、雑誌短編コンテストに作品を投稿した。1949年に広告代理店に就職し、コピーライターとして働くかたわらに西部劇 小説を書いた。大学は1950年に英語と哲学の学位を取得し卒業。
1951年 、レナードは、大衆雑誌「アーゴシー (Argosy)」に掲載された短編小説「Trail of the Apache」で成功した。 1950年代から1960年代前半にかけ、彼は短編を30以上書き続けた。 1953年 に彼の最初の長編「The Bounty Hunters」を上梓、4本の長編がこの後に続いた。 この時期、短編「The Tall T」と「三時十分発ユマ行き(3:10 to Yuma )」が映画化された。
1961年にレナードは会社を辞め、1963年までフリーランスのコピーライターと脚本家をしていた。1963年からは自分の会社「Elmore Leonard Advertising Company」を作って1966年まで続けた。1969年に初の非西部劇「The Big Bounce」で作家業に復帰する。
以後も小説と映画脚本を書いて生活するが、作家として高い評価と大きな売り上げを得るようになったのは、ようやく1980年代からである(ディーン・クーンツ は、1981年の「ベストセラー小説の書き方」で20歳年長のレナードを「これからの有望株」だとしている)。1983年の「ラブラバ」はエドガー賞の長編賞を受賞し、1984年の「グリッツ」は初めてのベストセラーになった。
1990年代に入ると、「ゲット・ショーティ 」、「ジャッキー・ブラウン 」(原作:『ラム・パンチ』)など作品の映画化が続いた。晩年まで執筆を続けていたが、2013年8月20日に死去した。87歳没。
著書
The Bounty Hunters (1953年)
The Law at Randado (1954年)
Escape from Five Shadows (1956年)
オンブレ (Hombre 1961年)映画『太陽の中の対決』の原作
The Big Bounce (1969年)
ムーンシャイン・ウォー (The Moonshine War 1969年)
Valdez is Coming (1970年)
Forty Lashes Less One (1972年)
マジェスティック (Mr. Majestyk 1974年)
五万二千ドルの罠 (Fifty-Two Pickup 1974年)
スワッグ (Swag 1976年)
身元不明者89号 (Unknown man No.89 1977年)
追われる男 (The Hunted 1977年)
ザ・スイッチ (The Switch 1978年)
Gunsights (1979年)
野獣の街 (City Primeval 1980年)
マイアミ欲望海岸 (Gold Coast 1980年)
スプリット・イメージ (Split Images 1981年)
キャット・チェイサー (Cat Chaser 1982年)
スティック (Stick 1983年)
ラブラバ (La BRAVA 1983年)
グリッツ (Glitz 1985年)
バンディッツ (Bandits 1987年)
タッチ (Touch 1987年)
フリーキー・ディーキー (Freaky Deaky 1988年)
キルショット (Killshot 1989年)
ゲット・ショーティ (Get Shorty 1990年)
Maximum Bob (1991年)
ラム・パンチ (Rum Punch 1992年) 映画『ジャッキー・ブラウン 』原作
プロント (Pronto 1993年)
Riding the Rap (1995年)
アウト・オブ・サイト (Out of Sight 1996年) スティーヴン・ソダーバーグ 監督で映画化
キューバ・リブレ (Cuba Libre 1998年)
Tonto Woman (1998年)
ビー・クール (Be Cool 1999年)
Pagan Babies (2000年)
Tishomingo Blues (2002年)
When the Women Come Out to Dance (2002年)
ママ、大変、うちにコヨーテがいるよ! (A Coyote's in the House 2003年)
Mr. Paradise (2004年)
The Complete Western Stories (2004年)
ホット・キッド (The Hot Kid 2005年)
Comfort to the Enemy (2006年)
Up in Honey's Room (2007年)
Elmore Leonard's 10 Rules of Writing (2007年)
Road Dogs (2009年)
フィルモグラフィー
映画
決断の3時10分 3:10 to Yuma (1957年) - 原作
反撃の銃弾 The Tall T (1957年) - 原作
太陽の中の対決 Hombre (1967年) - 原作
悪女のたわむれ The Big Bounce (1969年) - 原作
暗黒街の特使 The Moonshine War (1970年) - 脚本・原作
追撃のバラード Valdez Is Coming (1971年) - 原作
シノーラ Joe Kidd (1972年) - 脚本
マジェスティック Mr. Majestyk (1974年) - 脚本
デス・ポイント/非情の罠 52 Pick-Up (1986年) - 脚本・原作
キャット・チェイサー Cat Chaser (1989年) - 脚本・原作
ゲット・ショーティ Get Shorty (1995年) - 原作
ジャッキー・ブラウン Jackie Brown (1997年) - 原作・製作総指揮
アウト・オブ・サイト Out of Sight (1998年) - 原作
ビッグ・バウンス The Big Bounce (2004年) - 原作
Be Cool/ビー・クール Be Cool (2005年) - 原作
3時10分、決断のとき 3:10 to Yuma (2007年) - 原作
キルショット Killshot (2008年) - 原作・製作総指揮
ライフ・オブ・クライム Life of Crime (2013年) - 原作・製作総指揮
関連文献
外部リンク