カバーラップ二世
カバーラップ二世(カバーラップにせい、競走名セイカン)とは日本の競走馬、種牡馬である。 戦後の競走馬資源不足解消のため、2歳(旧馬齢)のときにアメリカより輸入された外国産馬(通称「米サラ」)の抽せん馬[1]。尾形藤吉のもとでセイカンという名で走ったが、脚部不安のため[1]競走馬としては大成せず下級競走を2勝したのみに終わり、引退した翌年の1957年より吉田牧場で種牡馬となる[1]。このときカバーラップ二世と改名された。父Cover Upを原音に近い形で表記し、その「二世」としたものである。 年間種付け頭数は1972年の29頭が最高[1]であり、ほぼ吉田牧場専属の種牡馬であった。それにもかかわらず、2年目の産駒から阪神3歳ステークスの優勝馬チトセハーバーを送り出したのを皮切りに、桜花賞優勝馬ワカクモ、1967年の最優秀4歳牡馬リュウズキなどの八大競走優勝馬を次々と輩出。1960年代後半から1980年代にかけての同牧場の全盛時代を牽引した。 1978年に種牡馬を引退し、1980年夏に老衰のため死亡[1]。遺体は孫であるテンポイントの墓のそばに埋められた[1]。この年の秋に牝馬として9年ぶりの天皇賞・秋優勝馬となったプリテイキャストが最後の活躍馬となった。中央競馬で重賞優勝馬となった8頭の産駒は、すべて吉田牧場、あるいは縁戚の吉田権三郎の生産馬であった。 おもな産駒※太字は現在のGI級競走優勝馬。
おもなブルードメアサイアー産駒血統表
父はアメリカで競走生活を送り、ハリウッドゴールドカップなどに優勝している。母は不出走。曾祖母ノートブックがセリマステークスに優勝、その産駒にアスタリタステークス優勝馬キーノート (Key Note) がいるほかは、近親に目立った活躍馬は存在しない。 脚注外部リンク |