ガストン・マッツァカーネ
ガストン・ウゴ・マッツァカーネ(西: Gastón Hugo Mazzacane, 1975年5月8日 - )は、アルゼンチン出身のレーシングドライバー。2000年と2001年にF1世界選手権へ出走した。 プロフィールロードツーリズムレースで活躍した、レーシングドライバーのヒューゴを父に持つ。南アメリカF3、イタリアF3、国際F3000を経て1999年にF1ミナルディのテストドライバーとなり、2000年からセカンドドライバーとしてF1デビュー。F1ルーキーだったがチームメイトのマルク・ジェネより良いパフォーマンスを見せたグランプリもあり、17戦中11戦で完走。入賞はなかったが同シーズンに参戦した全23人中3番目に多いラップ数を記録した。アメリカGPではウェットからドライにタイヤ交換するタイミングを遅らせるミナルディ・チームの好判断もあり、一時3位を走行して2年連続チャンピオンのミカ・ハッキネンを抑える走りを見せた。 2001年1月にアロウズをテスト走行させた後、同月中にプロストのセカンドドライバーとして出走することが決定。しかし、チームメイトのジャン・アレジに比べて低調な成績だったことを理由に、5月の第4戦サンマリノGPを最後にプロストがルチアーノ・ブルティとのドライバー交代を決断しシートを失った。 2002年、F1に新しく参戦すると期待されたチーム、フェニックスと契約をするが、チーム自体F1に参戦することはなかった(フェニックス自体、前年に経営破綻したプロスト・グランプリの資産をトム・ウォーキンショーらが買い取ったもので、チームとしての実体はないに等しかった)。 その後、アメリカに渡り2004年にチャンプカー・ワールド・シリーズに参戦。73ポイントを獲得し、シーズン17位であった。 2005年以降は南米に戻ってトップレースV6、フォーミュラ・トラック、ロードツーリズムなどに参戦した。 レース戦績国際フォーミュラ3000
フォーミュラ1
アメリカン・オープン=ホイールチャンプカー
外部リンク
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