コディ・アッシー
コディ・ジェームズ・アッシー(Cody James Asche、1990年6月30日 - )は、アメリカ合衆国・ミズーリ州セントチャールズ郡セントチャールズ出身の元プロ野球選手(外野手、三塁手)。右投左打。 メディアによっては「アシー」、「アッシュ」、「アーシ」と表記されることもある。 経歴プロ入りとフィリーズ時代2011年のMLBドラフト4巡目(全体151位)でフィラデルフィア・フィリーズから指名され、6月13日に契約。二塁手に転向し、傘下のA-級ウィリアムズポート・クロスカッターズでプロデビュー。68試合に出場して打率.192、2本塁打、19打点を記録した。 2012年から三塁手に戻り、A+級クリアウォーター・スレッシャーズで62試合に出場。打率.349、2本塁打、25打点、10盗塁と好成績を維持し、6月にAA級レディング・フィリーズに昇格。68試合に出場して打率.300、10本塁打、47打点、1盗塁と結果を残した。オフに教育リーグのアリゾナ・フォールリーグに参加し、ピオリア・ハベリーナズに所属した。 2013年は開幕をAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスで迎え、104試合に出場。打率.295、15本塁打、68打点、11盗塁の成績でトレード期限前の7月30日にメジャー初昇格を果たした[1]。同日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビュー。代打で出場するも凡退に終わった。8月8日のシカゴ・カブス戦で、4回裏にエドゥアルド・サンチェスから初本塁打を放った[2]。この年メジャーでは50試合に出場して打率.235、5本塁打、22打点、1盗塁を記録した。守備面も含めてまずまずの実績を残した為、翌2014年シーズンの三塁のレギュラーとして期待された[3]。 2014年は5月から6月にかけて一時故障で戦線離脱したが、この期間を除いてはコンスタントに出番を与えられた[4]。打率を.250台に乗せて、本塁打も二桁に到達した。また、前年に苦手としていた左投手に対しては、右投手よりも高い打率を記録した[4]。守備面では、16失策、守備率.943と拙守だった。全体としては、将来の三塁のレギュラー候補であるマイケル・フランコのメジャー定着の可能性もあり、他のポジションへのコンバートの可能性もあった[4]。 2015年はシーズン途中から左翼手のレギュラーに定着した。最終的には129試合に出場して打率.245、自己最多の12本塁打、39打点を記録した。 2016年は71試合と出場機会が減少し、8月にはマイナー降格も経験。オフの12月2日にFAとなった[5]。 ホワイトソックス時代2016年12月22日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、2017年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。 2017年4月2日にメジャー契約を結んで開幕25人枠入りした。デトロイト・タイガースとの開幕戦には「6番・指名打者」で先発出場したものの、19試合に出場して打率.105、1本塁打、4打点と結果を残せず、5月16日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級シャーロット・ナイツへ配属された[5]。レギュラーシーズン終了後の10月2日にFAとなった[5]。 ホワイトソックス退団後2017年12月15日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[6]。 2018年4月4日に後日発表選手または金銭とのトレードで、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍となり[7]、傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースへ配属された。5月1日に自由契約となった。5月3日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、翌4日に傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズへ配属された。 2019年2月6日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶが、開幕前に自由契約となる。4月15日に独立リーグであるアトランティックリーグのシュガーランド・スキーターズと契約。5月3日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び、5日に傘下のAA級ポートランド・シードッグスへ配属された。オフの11月4日にFAとなった[5]。 ツインズ傘下時代2019年12月19日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ[5]。 2020年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響でマイナーリーグが開催されなかったため、公式戦の出場はなかった。11月2日にFAとなり[5]、この年限りで現役を引退した。 現役引退後2022年にボルチモア・オリオールズのマイナー巡回の上級打撃コーディネーター(Upper-Level Hitting Coordinator)に就任した[8]。 2023年からはオリオールズの攻撃戦略コーチ(Offensive Strategy Coach)を務める[9]。 詳細情報年度別打撃成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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