シングス・ウィー・ライク
『シングス・ウィー・ライク[注釈 1]』(Things We Like)は、スコットランドのミュージシャン、ジャック・ブルースが1970年に発表した、ソロ名義では2作目のスタジオ・アルバム。ただし録音はソロ・デビュー作『ソングス・フォー・ア・テイラー』(1969年発表)よりも早い1968年8月である[3][4]。 背景全曲ともインストゥルメンタルで、音楽的にはジャズ(ポスト・バップ、フリー・ジャズ)からの影響が強い[3]。 本作に参加したジョン・マクラフリン、ディック・ヘクストール=スミス、ジョン・ハイズマンは、ブルースがかつて在籍したグレアム・ボンド・オーガニゼーション(以下、GBO)の人脈である。マクラフリンは1963年4月、アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレイテッドを脱退したブルース、グレアム・ボンド、ジンジャー・ベイカーと、GBOの前身に当たるグレアム・ボンド・カルテット(以下、GBQ)を結成した[5][6][7]。GBQのライヴ録音はボンド名義のアルバム『Solid Bond』(1970年発売)に収録された[8]。ヘクストール=スミスはブルースらと共にブルース・インコーポレイテッドに在籍していたが、同年9月にマクラフリンと入れ替わってGBQに加入した[7]。ヘクストール=スミスを迎えたGBQはGBOとして[5]デビューしたが、1965年夏にブルース[9]、1966年5月にベイカーが脱退。ハイズマンはベイカーの後任としてGBOに加入し[10]、ヘクストール=スミスと共に1967年の解散まで在籍した。 1968年の夏、ブルースは在籍していたクリームの活動の合間にヘクストール=スミス、ハイズマンとトリオを結成して、ロンドンの100 Clubでコンサートを開いた[11]。これをきっかけに、彼等は8月にIBCスタジオでジャズのアルバムを録音し始めた。その初日が終わってブルースが車で帰宅する途中、彼は旧知のマクラフリンがギターを携えて歩いているのを見かけて声をかけた[注釈 2]。マクラフリンを含む4名は録音を3日間で終えた[11]。 ブルースは本作を初のソロ・アルバムにすると自分は今後ジャズ・ベース・プレイヤーとして見られるようになると考え、発表を延期した[12]。そして1970年秋に本作を『ソングス・フォー・ア・テイラー』(1969年)に続く2作目のアルバムとして発表した。同じセッションで録音されたアウトテイク「エイジング・ジャック・ブルース、スリー、フロム・スコットランド、イングランド」は、2003年発売のリマスターCDにボーナス・トラックとして収録された[1]。 ブルースは本作が完成した後も、参加メンバーとの交流を持った。ヘクストール=スミスとハイズマンは1968年にコロシアムを結成し、1969年にブルースの『ソングス・フォー・ア・テイラー』のレコーディングに参加した。マクラフリンは1969年にトニー・ウィリアムスとトニー・ウィリアムス・ライフタイムを結成し、1970年にブルースをウィリアムスに紹介した。ブルースはライフタイムに加入して、マクラフリンと共にセカンド・アルバム『ターン・イット・オーヴァー』(1970年)に参加した[13][14]。 評価Lindsay Planerはオールミュージックにおいて5点満点中4点を付け、アルバムの音楽性に関してローランド・カークを引き合いに出し、「HCKHHブルース」におけるジョン・マクラフリンの演奏を「ロバート・フリップが『アイランズ』(1971年)期のキング・クリムゾンで披露したジャズ的なフレットさばきに近い」と評している[3]。また、ロバート・クリストガウは本作にB+を付け「多くのロック・ミュージシャンが指向してきた単純なモダニズムよりも、オーネット・コールマンやビバップに負うところが大きい、楽しめるコンテンポラリー・ジャズのLP」と評している[15]。 収録曲特記なき楽曲はジャック・ブルース作。
2003年リマスターCDボーナス・トラック
参加ミュージシャン
脚注注釈
出典
引用文献
外部リンク
Information related to シングス・ウィー・ライク |