ジョルジュ・サンピエール
ジョルジュ・サンピエール(Georges St-Pierre、1981年5月19日 - )は、カナダの男性元総合格闘家。ケベック州サンティジドール出身。元UFC世界ミドル級王者。元UFC世界ウェルター級王者。UFC史上4人目の二階級制覇王者。UFC殿堂入り。ジョルジュ・サン・ピエールとも表記される。 名前の頭文字をとって「GSP」と呼ばれる。 概要打撃、組技、寝技、全てにおいて穴のない総合格闘技として完成されたコンプリートファイターで、ジョン・ジョーンズと並んで歴代パウンド・フォー・パウンド最強と称される。その実力と共に端正なルックスと紳士的な性格から、母国カナダで国民的な人気を誇った。 打撃系格闘技の極真空手出身でありながら、オリンピックにレスリングでの出場を目指そうとしたほど優れたレスリング技術を持ち、UFC歴代最多のテイクダウン奪取数(90回)を保持する。また、テイクダウンの成功率でも、サンピエールと並びパウンド・フォー・パウンド最強と称されるジョン・ジョーンズで45%、オリンピックにも出場したレスリング出身のダニエル・コーミエで45%、UFC史上最高のグラップラーと目されるハビブ・ヌルマゴメドフで48%と、同じような数字が並ぶ中、サンピエールは74%と驚異的なテイクダウン成功率を誇る[1]。 ファイトスタイルテイクダウン、寝技、打撃、全てにおいてハイレベルで、それらの技術を総合格闘技仕様にうまく融合させて使うセンスも傑出しており、あらゆる局面において強さをみせ、その完成度の高さから「総合格闘技の歴史を10年早めた」と評される[2]。 来歴治安の悪い街サンティジドールに生まれ、幼い頃は学校でいじめに遭い小遣いや服を盗まれていた[3]。護身のために7歳の時に極真空手を学び始め[4]、空手の先生が死去した後、ブラジリアン柔術、ボクシング、レスリングなど様々な格闘技を学んだ。エコール・ピエール・ベダール高校では懸垂の学校記録を樹立した。プロ総合格闘家になる前は、モントリオールのナイトクラブで警備の仕事や、学費を稼ぐために6か月間ゴミ回収業者をしていた[5]。 2002年1月25日、プロデビュー戦となったUCC 7でアイヴァン・メンジバーと対戦し、パウンドで1RTKO勝ちを収めた。 2002年6月15日、UCC 10のUCCカナダウェルター級タイトルマッチでジャスティン・ブルックマンと対戦し、腕ひしぎ十字固めで1R一本勝ちを収め王座獲得に成功した。 2002年10月11日、UCC 11のUCCカナダウェルター級タイトルマッチでトラビス・ガルブレイスと対戦し、グラウンドの肘打ちで1RTKO勝ちを収め初防衛に成功した。 UFC2004年2004年1月31日、UFC初出場となったUFC 46でカロ・パリジャンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。 2004年10月22日、UFC 50のUFC世界ウェルター級王座決定戦で元UFC世界ウェルター級王者マット・ヒューズと対戦し、タックルとグラウンドで完封され1R終了とほぼ同時に腕ひしぎ十字固めで一本負け。王座獲得に失敗し、キャリア初黒星を喫した。 2005年2005年4月16日、UFC 52でジェイソン・"メイヘム"・ミラーと対戦し、3-0の判定勝ち。UFCに出場し続けたためTKOカナダウェルター級王座を剥奪された[6]。 2005年8月20日、UFC 54でフランク・トリッグと対戦し、リアネイキドチョークで1R一本勝ち。 2005年11月19日、UFC 56でショーン・シャークと対戦し、パウンドで2RTKO勝ちを収めた。 2006年2006年3月4日、UFC 58ではウェルター級王座挑戦者決定戦で元UFC世界ウェルター級王者BJ・ペンと対戦し、激闘の末に2-1の判定勝ちを収めた。 2006年9月23日のUFC 63のUFC世界ウェルター級タイトルマッチで王者マット・ヒューズに挑戦予定だったが、自身の負傷により欠場した。 2006年11月18日、UFC 65のUFC世界ウェルター級タイトルマッチで王者マット・ヒューズに挑戦。ヒューズのタックルを完封して、1R終了間際にスーパーマンパンチからのパンチのコンビネーションでダウンを奪い追撃のパウンドでKO寸前まで追い詰めると、2Rに左ハイキックでダウンを奪い追撃のパウンドと肘打ちでTKO勝ちを収め、王座獲得に成功。約2年越しのリベンジを果たし、ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2007年2007年4月7日、UFC 69のUFC世界ウェルター級タイトルマッチでThe Ultimate Fighterシーズン4優勝者のマット・セラと対戦。試合前のオッズでは11対1とサンピエールが圧倒的有利とされていたが、1R早々にセラのパンチでぐらつき、そのまま追い討ちのパンチでダウンを奪われ追撃のパウンドでTKO負けを喫し、初防衛に失敗した。この試合はUFC史上最大の番狂わせの一つとされている[7]。 2007年8月25日、UFC 74でジョシュ・コスチェックと対戦し、3-0の判定勝ち。大方の予想ではNCAAレスリング王者のコスチェックがレスリングでサンピエールを上回るとされていたが、試合ではサンピエールがテイクダウンを奪うと共にコスチェックのテイクダウンを防ぐなどレスリングの攻防で圧倒した。 2007年12月29日、UFC 79でマット・ヒューズと対戦予定だった王者マット・セラが負傷欠場したことで代役として出場し、UFC世界ウェルター級暫定王座決定戦でマット・ヒューズとラバーマッチを行なう。序盤にクリンチワークからテイクダウンを取る主導権を握ると、終始一方的に攻め、ヒューズのテイクダウンを全て防ぐなどほとんど何もさせないまま、最後は腕ひしぎ十字固めで2R一本勝ちを収め、暫定王座獲得に成功。サブミッション・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2008年2008年4月19日、UFC初のカナダ大会となったUFC 83で行われたUFC世界ウェルター級王座統一戦で正規王者マット・セラと再戦。試合開始早々にテイクダウンを奪うと、グラウンドでセラに何もさせないままパウンドで一方的に攻め、最後はグラウンドでのボディへの膝蹴りの連打により2RTKO勝ち。王座統一に成功し、約1年越しのリベンジを果たした。 2008年8月9日、UFC 87のUFC世界ウェルター級タイトルマッチで挑戦者のジョン・フィッチと対戦。1Rに右ストレートで、3Rに右フックと右膝蹴りで合計3度のダウンを奪い、テイクダウンも7度奪うなど終始フィッチを圧倒し3-0(50-44、50-44、50-43)の5R判定勝ち。王座の初防衛に成功し、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2008年9月、ブラジリアン柔術黒帯をブルーノ・フェルナンデスから授与された[8][9]。 2009年2009年1月31日、UFC 94のUFC世界ウェルター級タイトルマッチで1階級下のUFC世界ライト級王者BJ・ペンと再戦。「世紀の一戦」「MMAのパウンド・フォー・パウンド最強王者決定戦」と評されたこの試合では、1Rはテイクダウンを全て防がれほぼ互角の展開だったが、2R以降はテイクダウンを何度も奪って終始優位なポジショニングを取り、パウンドの連打によりダメージを蓄積させ、4R終了時にコーナーストップでTKO勝ちを収め、2度目の王座防衛に成功した。 2009年7月11日、UFC 100のUFC世界ウェルター級タイトルマッチで挑戦者のチアゴ・アウベスと対戦。合計10度のテイクダウンを奪い、グラウンドで終始圧倒し続けて3-0(50-45、50-45、50-44)の5R判定勝ち。3度目の王座防衛に成功した。 2009年12月28日、スポーツ・イラストレイテッドのファイター・オブ・ザ・イヤーを受賞した[10]。 2010年2010年3月27日、UFC 111のUFC世界ウェルター級タイトルマッチで挑戦者のダン・ハーディーと対戦。テイクダウンとグラウンドで圧倒し、腕ひしぎ十時固めやキムラロックを極めかけるなど終始ハーディーの持ち味を潰して3-0(50-45、50-44、50-43)の5R判定勝ち。4度目の王座防衛に成功した[11]。 2010年9月から放送されたリアリティ番組The Ultimate Fighter 12で相手チームのジョシュ・コスチェックと共にコーチを務めた。12月11日、UFC 124のUFC世界ウェルター級タイトルマッチで挑戦者のコスチェックと約3年3か月ぶりに再戦し、再三に渡る鋭いジャブでコスチェックの右目を腫れあがらせ、打撃とテイクダウンの数で圧倒的な差をつけて3-0(50-45、50-45、50-45)の5R判定勝ち。5度目の王座防衛に成功し[12]、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。 2011年2011年4月30日、モントリオールのロジャーズ・センターにて、観衆55,724人を動員してUFC史上最多観客動員記録(当時)となったUFC 129で行われたUFC世界ウェルター級タイトルマッチで元Strikeforce世界ミドル級王者の挑戦者ジェイク・シールズと対戦。全局面で試合をコントロールし続けて3-0(48-47、48-47、50-45)の5R判定勝ち。6度目の王座防衛に成功し、マット・ヒューズの保持していたUFC最多連続防衛記録を更新した。 2011年10月29日のUFC 137でニック・ディアスとタイトルマッチを行う予定であったが、ディアスが記者会見の出席を拒否したためUFCはディアスを欠場させることを決定し、代わりにカーロス・コンディットとタイトルマッチを行うことになったが、サンピエールが膝の負傷のため欠場することが発表された[13]。 2012年2012年2月4日のUFC 143でニック・ディアスとタイトルマッチを行う予定であったが、2011年12月7日、右膝の前十字靭帯を損傷し、欠場することが発表された[14]。 2012年11月17日、UFC 154のUFC世界ウェルター級王座統一戦で暫定王者カーロス・コンディットと対戦。3Rに左ハイキックでダウンを奪われるものの、グラウンドでの肘打ちでコンディットを流血させるなど試合全体としては終始圧倒し続け、3-0(50-45、50-45、49-46)の5R判定勝ち。王座統一に成功し、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[15]。 2013年2013年3月16日、UFC 158のUFC世界ウェルター級タイトルマッチで以前から度々挑発されてきた元Strikeforce世界ウェルター級王者でウェルター級ランキング3位の挑戦者ニック・ディアスと対戦。合計9度のテイクダウンを奪い、スタンドでもディアスを圧倒して3-0(50-45、50-45、50-45)の5R判定勝ち。8度目の王座防衛に成功した。 2013年11月16日、UFC 167でウェルター級ランキング1位の挑戦者ジョニー・ヘンドリックスと対戦。ヘンドリックスのパワフルな強打とテイクダウンに苦戦を強いられたが、数度テイクダウンを奪い的確に打撃を当てるなど対抗し、2-1(47-48、48-47、48-47)の5R判定勝ち。9度目の王座防衛に成功し、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。試合後のインタビューで休養を示唆する発言をした。 2013年12月13日、記者会見を開き、ウェルター級王座の返上と休養を表明。「いつか必ず戻ってくる」と語った[16]。後に休養の理由の一つに強迫性障害であった事を挙げている[17]。 2014年2014年3月27日、復帰に向けてトレーニングをしていた最中に今度は左膝の前十字靭帯を損傷した事を発表[18]。 2017年2017年2月15日、復帰戦を行うことでUFCと合意[19]。 2017年7月8日のUFC 213でマイケル・ビスピンと対戦することになっていたが、サンピエールが目を負傷してしばらく試合を行えなくなったことで、2017年5月11日にビスピンとの試合が中止になったことがUFCより発表される[20]。その後、UFCはウェルター級王者タイロン・ウッドリーとの試合を計画するも、過去2試合でのウッドリーの盛り上がりに欠ける試合内容とビスピンの対戦相手に予定していたミドル級暫定王者ロバート・ウィテカーが負傷して2018年1月頃まで試合を行えなくなったことで、UFCはサンピエールとビスピンとの対戦を決定した[21]。 2017年11月4日、約4年ぶりの復帰戦となったUFC 217のUFC世界ミドル級タイトルマッチで王者マイケル・ビスピンに挑戦。3Rに左フックでダウンを奪い、リアネイキドチョークでテクニカル一本勝ちを収め、パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞。ウェルター級に続いてミドル級の王座獲得に成功し、ランディ・クートゥア、BJ・ペン、コナー・マクレガーに次いでUFC史上4人目となる二階級制覇を達成した。この試合は、カナダではフロイド・メイウェザー・ジュニア対コナー・マクレガーを上回るペイ・パー・ビュー販売件数を記録し、また、サンピエールはカナダ首相のジャスティン・トルドーから勝利の祝福を受けた[22]。 2017年12月7日、難病に指定される潰瘍性大腸炎を発症したためミドル級王座を返上した[23]。 2018年2018年4月7日のUFC 223で勝利してUFC世界ライト級王座を獲得したハビブ・ヌルマゴメドフがサンピエールへの挑戦を表明するも、サンピエールは療養中であるとしてこれを辞退した[24]。 2018年8月、年内に予定している復帰戦で階級をライト級に下げUFC 229で試合が組まれているハビブ・ヌルマゴメドフとコナー・マクレガーの勝者と対戦したい意向を表明した[25]。 2018年12月13日、潰瘍性大腸炎から完全に回復したことを発表するも、試合に復帰するかは決めていないとした[26]。 2019年2019年2月21日、地元モントリオールで記者会見を開き、総合格闘技からの引退を発表した[27]。 2020年5月9日、UFC殿堂入りが発表された。 2021年6月9日、生まれ故郷のサンティジドールにあるジョルジュ・サンピエール広場にサンピエールの136kgの等身大の銅像が建てられた。銅像はUFCのオクタゴンを表した石造りの八角形の場所に建てられており、石畳にはサンピエールの中核となる価値観である「家族、忍耐、英知、誠実、寛容、尊敬、創造、栄誉」の8つの文字がフランス語で刻まれている[28]。 人物・エピソード
戦績総合格闘技
獲得タイトル
表彰
ペイ・パー・ビュー販売件数
出演映画
テレビドラマ
CM脚注
映像資料
関連項目外部リンク
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