ベル研究所でのピアースの最初の仕事は、真空管に関するものだった。第二次世界大戦中にピアースは、進行波管を発明したイギリスのレーダー研究所のルドルフ・コンフナーの研究を見つけた[3]。ピアースはコンフナーをベル研究所に招いた後、進行波管の数学的研究をし、それに関する本を著した[4]。ピアースは後に、「ルディ・コンフナーは進行波管を発明したが、私がそれを発見した」(Rudy Kompfner invented the traveling-wave tube, but I discovered it.)と述べたと言われているが、コンプフナーの著書によると、この言葉は、『ザ・ニューヨーカー』1963年9月21日号に掲載されたユージン・フビニ(英語版)によるピアースに関する記事が初出だった。また、ピアースは「自然は真空管を忌み嫌う」(Nature abhors a vacuum tube)と発言したと広く信じられているが、ピアース自身はこの発言はマイロン・グラスによるものだと考えていた[5]。また、この言葉はトランジスタ発明以前のベル研究所ではよく聞かれたものだったという話もある[6]。
ピアースは、技術を専門とはしていないが、それに興味のある読者に向けた技術書を多数執筆した。主な本に、"Electrons, Waves, and Messages"(電子、波、メッセージ)、"An Introduction to Information Theory: Symbols, Signals, and Noise"(情報理論への導入: 記号、信号、ノイズ)、"Waves and Ear"(波と耳)、"Man's World of Sound"(人の音の世界)、"Quantum Electronics"(量子エレクトロニクス)、"Signals: The Science of Telecommunication"(信号: 電気通信の科学)などがある[18]。
^John R. Pierce and A. Michael Noll, SIGNALS: The Science of Telecommunication, Scientific American Books (New York, NY), 1990.
^Love, Allan W. (June 1985). “In Memory of Carl A. Wiley”. Antennas and Propagation Society Newsletter (IEEE) 27 (3): 17–18. doi:10.1109/MAP.1985.27810.
^Kamin, Arthur Z. "State Becomes a Part of Celebrating Marconi's Achievements", The New York Times, October 23, 1994. Accessed July 6, 2008. "The recipient in 1979 was Dr. John R. Pierce, then of the California Institute of Technology who had been with AT&T Bell Laboratories at Murray Hill and at Holmdel. Dr. Pierce had lived in Berkeley Heights and now lives in Palo Alto, Calif."
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“John Robinson Pierce”. Biographical Memoirs. National Academies Press. December 8, 2009閲覧。