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ジーナ・ロロブリジーダ

ジーナ・ロロブリージダ
Gina Lollobrigida
ジーナ・ロロブリージダ Gina Lollobrigida
本名 Luigina Lollobrigida
生年月日 (1927-07-04) 1927年7月4日
没年月日 (2023-01-16) 2023年1月16日(95歳没)
出生地 イタリア王国の旗 イタリア王国ラツィオ州ローマ県スビアーコ
死没地 イタリアの旗 イタリアラツィオ州ローマ県ローマ
国籍 イタリア王国の旗 イタリア
職業 女優、フォトジャーナリスト、彫刻家
配偶者 Milko Skofic (1949-1971)
主な作品
映画
『夜ごとの美女』
パンと恋と夢
悪魔をやっつけろ
空中ぶらんこ
『掟』
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ジーナ・ロロブリジーダ(Gina Lollobrigida、1927年7月4日 - 2023年1月16日)は、イタリア女優フォト・ジャーナリスト

スビアーコ(città metropolitana di Roma Capitale, Lazio)出身。生まれた年について異説があり、『世界人物事典』(旺文社、1985)では1928年生まれと記載。『20世紀西洋人名辞典』(日外アソシエート、1995)では1927年7月4日生まれとしているが、1928年または1929年生まれの説も併記している[1]。本名はルイジーナ・ロロブリジーダ(Luigina Lollobrigida)。

生い立ち

1927年7月4日、家具工場経営者の父Giovanni Mercuri Lollobrigidaと、母Giuseppinaの間に生まれる。4人姉妹の第2子[2]

1943年、工場が爆撃で破壊される。

1945年、ローマに移住。 モンテ・カステッロ・ディ・ヴィービオ(ウンブリア州ペルージャ県)の Teatro della oncordiaというオペラハウスでコメディーに出演[3]

1946年、Academy of Fine Arts(ローマ)入学。彫刻や絵画を学ぶ。Giana Loris名義でいわゆるフォトノベル(英photo novel)のモデルになる[4]。『Aquila nera』で映画デビュー。ミス・ラツィオ準優勝。

経歴

パンと恋と嫉妬』(1954年)

1947年、ミス・イタリア第3位。これがきっかけで『愛の妙薬』 (1948年) のヒロインに抜擢される

1952年、『花咲ける騎士道』、『夜ごとの美女』に出演。国際的にブレイクし、ハリウッド進出の足掛かりとなる[5]

1953年、『悪魔をやっつけろ』に出演。ハリウッドデビュー。以後、世界的な人気を博す

1964年3月3日、スター千一夜(フジテレビ)に出演

1965年12月11日、スター千一夜に出演

1973年、女優業を休止して写真家彫刻家として活動(1983年まで。ポール・ニューマンサルバドール・ダリヘンリー・キッシンジャー等を撮影した[6]。1975年にはフィデル・カストロの単独インタビューに成功している[7])

1973年、モスクワ国際映画祭審査員[8]

1974年、写真集"Italia Mia"を上梓[9]。5月1日、小川宏ショー(フジテレビ)に出演。

1981年、モントリオール世界映画祭審査委員長

1986年、ベルリン国際映画祭審査委員長[10]

1988年、Maurizio Ponziによる伝記"The Films of Gina Lollobrigida"(Citadel Press,ISBN 978-0806510934)リリース

1990年、Luis Canalesによる伝記"Imperial Gina: The Strictly Unauthorized Biography of Gina Lollobrigida"(Branden Pub Co. ISBN 978-0828319324)リリース[11]

1990年代に入ってからは女優としての活動を縮小した。

1999年、欧州議会議員に立候補するも落選[12]。10月16日、国際連合食糧農業機関の親善大使(goodwill ambassador)受任[13]

2013年2月、ウィーンで開催されたOpernball 2013に出席[14]

2018年、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(歩道に刻まれる名誉の星型)に名前を入れる栄誉にあずかる。

晩年は彫刻家として大理石を加工していた[15]。2023年1月16日にローマの診療所にて死去[16][17]。95歳没。

私生活とゴシップ

1949年2月14日(1月4日という説あり)[4]スロベニアの医師Milko Škofičと結婚。1957年7月28日、息子のAndrea Milko (Milko Škofič, Jr.)生まれる[18]。彼は後に俳優となる[19]。ミルコはロロのマネージャーになるため医師としてのキャリアを断念した[20]。1960年、カナダのトロントに移住[21]。1971年、二人は別れる[22]

1974年5月5日、写真集の宣伝のため来日。記者会見で、イタリアではどこにでもいるパパラッチよりも、誰もがカメラを持っている日本人のほうが悪質だと述べた[23]

2006年10月、スペインの実業家Javier Rigau y Rafolsと結婚する見込みであると報じられた[24] [25]。12月6日、婚約は解消される[26]

2013年、ロロは元カレのラフォルスを詐欺で告発する。ロロの主張はこうだ。「3年前、謎の女性Teresaを自分に仕立てて秘密裏に結婚式を挙げ、バルセロナで婚姻届けを出した。私の不動産が目当てだ。私がスペイン語を理解できないのをいいことに」[27]

2013年5月14日、ジュネーブで開催されたサザビーズのオークションで、ロロの出品した真珠のイヤリングが239万ドル(約2億4000万円)で落札された。これは真珠のイヤリングとしての最高値で、それまでの記録(エリザベス・テイラーが2011年に出品したもの)を更新した。サザビーズによると、このときロロが出品した宝石類は全体で500万ドル(約5億1000万円)近くで売れたという。売り上げの一部は幹細胞研究に寄付される[28]

その他

  • 愛称の「ロロ(Lollo)」はフランス語のスラングでおっぱいという意味である[9]
  • 1990年、フランスのAlain Meillandはバラの新しい品種を作出した。ロロにちなんでGina Lollobrigida(和名ジーナ ロロブリジーダ)と命名した[29]
  • ある種の柔らかいレタスで、Lolloと呼ばれるものがある。当時世界で最も美しい女性とみなされた(出典[30]による)ロロにちなんで1960年代に命名された。

主な出演作品

  • 白い国境線 Cuori senza frontiere (1950年)
  • 街は自衛する La città si difende (1951年)
  • 花咲ける騎士道 Fanfan la Tulipe (1952年)
  • 懐かしの日々 Altri tempi (1952年)
  • 夜ごとの美女 Les belles de nuit (1952年)
  • パンと恋と夢 Pane, amore e fantasia (1953年)
  • 悪魔をやっつけろ Beat the Devil (1953年)
  • 外人部隊 Le grand jeu (1954年)
  • 剣侠と美女 Crossed Swords (1954年)
  • ローマの女 La romana (1954年)
  • パンと恋と嫉妬 Pane, amore e gelosia (1954年)
  • 美女の中の美女 La donna più bella del mondo (1955年)
  • 空中ぶらんこ Trapeze (1956年)
  • ノートルダムのせむし男 Notre-Dame de Paris (1956年)
  • 恋はすばやく Anna di Brooklyn (1958年)
  • La legge (1959年)
  • ソロモンとシバの女王 Solomon and Sheba (1959年)
  • 戦雲 Never So Few (1959年)
  • 蒼い渚 Go Naked in the World (1961年)
  • 九月になれば Come September (1961年)
  • 皇帝のビーナス Venere imperiale (1962年)
  • 波止場 Mare matto (1963年)
  • わらの女 Woman of Straw (1964年)
  • バンボーレ Le bambole (1965年)
  • お熱い出来事 Strange Bedfellows (1965年)
  • ホテル・パラディソ Hotel Paradiso (1966年)
  • セルバンテス Cervantes (1968年)
  • 殺しを呼ぶ卵 La morte ha fatto l'uovo (1968年)
  • 想い出よ、今晩は! Buona Sera, Mrs. Campbell (1968年)
  • スタントマン Stuntman (1969年)
  • さらば恋の日 Un bellissimo novembre (1969年)
  • 無頼プロフェッショナル Bad Man's River (1971年)
  • ピノッキオの冒険 Le avventure di Pinocchio (1972年)
  • ラブ・ボート The Love Boat (1986年)
  • ローマの女 La romana (1988年)
  • 百一夜 Les cent et une nuits (1995年)

受賞・叙勲

(詳細は:[31])

脚注

  1. ^ 『西洋人名レファレンス事典 映画・演劇・芸能・舞踏篇』日外アソシエート、2013年、421頁。ISBN 978-4-8169-2429-3 
  2. ^ Luis anales (1990) (英語). Imperial Gina : the strictly unauthorized biography of Gina Lollobrigida. Brookline Village, Boston: Branden Pub. Co.. p. 30. ISBN 0-8283-1932-4 
  3. ^ STORIE, VICENDE E PROTAGONISTI”. TEATRO DELLA CONCORDIA SEC. 2018年11月5日閲覧。
  4. ^ a b Gina Lollobrigida Biography”. 2018年11月5日閲覧。
  5. ^ ジーナ・ロロブリジーダ”. 20世紀・シネマ・パラダイス. 2018年11月4日閲覧。
  6. ^ “Gina Lollobrigida wird 60”. Frankfurter Allgemeine Zeitung. (1987年7月4日) 
  7. ^ Deirdre Pirro (2009) (英語). Italian Sketches: The Faces of Modern Italy. The Florentine Press. p. 41. ISBN 978-88-902434-4-8 
  8. ^ 1973 year”. 34th Moscow International Film Festival. 2018年11月7日閲覧。
  9. ^ a b 阿部十三 (2014年2月20日). “ジーナ・ロロブリジーダ ~ロロと恋と夢~”. 花の絵. 2018年11月3日閲覧。
  10. ^ Chronik - Die Höhepunkte der Berlinale”. Spiegel Online (2000年2月7日). 2018年11月7日閲覧。
  11. ^ Gina Lollobrigida Publicity”. IMDb. 2018年11月4日閲覧。
  12. ^ Ray Moseley (1999年6月8日). “IN EUROPEAN PARLIAMENT VOTE, A `HOT-AIR MACHINE' REACHES FOR RESPECT”. Chicago Tribune. 2018年11月5日閲覧。
  13. ^ Meet the Goodwill Ambassadors”. FAO. 2018年11月7日閲覧。
  14. ^ Gina Lollobrigida ist Richard Lugners zweiter Stargast für den Opernball 2013”. VIENNA.AT. Russmedia Digital GmbH (2013年1月31日). 2018年11月4日閲覧。
  15. ^ 成田陽子 (2018年3月16日). “美貌とセクシーな体型に目がくらみそう!素敵なシニアレディ、ジーナ・ロロブリジーダにインタビュー”. SCREEN ONLINE. 近代映画社. 2018年11月3日閲覧。
  16. ^ Умерла итальянская актриса Джина Лоллобриджида” (ロシア語). Forbes.ru. 2023年1月16日閲覧。
  17. ^ “Gina Lollobrigida, post WWII Italian film diva, dies at 95”. ロイター. (2023年1月16日). https://jp.reuters.com/article/italy-lollobrigida-idCAKBN2TV0L1 2023年11月29日閲覧。 
  18. ^ Luis Canales (1990) (英語). Imperial Gina : the strictly unauthorized biography of Gina Lollobrigida. Brookline Village, Boston: Branden Pub. Co.. p. 113. ISBN 0-8283-1932-4 
  19. ^ Milko Skofic Jr.”. IMDb. 2018年11月5日閲覧。
  20. ^ fourwaysout.pdf”. William K. Everson Collection. New York University. 2018年11月6日閲覧。
  21. ^ Eliza Berman (2015年7月22日). “The Italian Bombshell Who Proved That Life Is About Much More Than Curves”. TIME. 2018年11月6日閲覧。
  22. ^ Réka C. V. Buckley (2000). “National Body: Gina Lollobrigida and the cult of the star in the 1950s”. Historical Journal of Film, Radio and Television (Routledge) 20 (4): 524-547. doi:10.1080/713669741. https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/713669741 2018年11月6日閲覧。. 
  23. ^ May 05, 1974 -LOLLO IN TOKYO WITH HER "ITALIA MIA" BOOK”. alamy. 2018年11月4日閲覧。
  24. ^ Lollobrigida to marry younger man”. BBC News (2006年10月20日). 2018年11月6日閲覧。
  25. ^ Michael Wilson (2010年11月13日). “The World's Most Beautiful Woman, 83, Pays New York a Visit”. The New York Times 
  26. ^ La Lollo's wedding called off”. 24.com (2006年12月7日). 2018年11月6日閲覧。
  27. ^ Nick Squires (2013年1月29日). “'Most beautiful woman in the world' Gina Lollobrigida in bizarre fake marriage plot”. The Telegraph. 2018年11月6日閲覧。
  28. ^ 往年の伊女優の真珠イヤリング、2億4000万円で落札 過去最高値”. AFPBB News. 株式会社クリエイティヴ・リンク (2013年5月15日). 2018年10月4日閲覧。
  29. ^ ジーナ ロロブリジーダ”. NOIBARA. 2018年11月4日閲覧。
  30. ^ Italy: Lollo lettuce disappears in Germany”. Fresh Plaza (2014年10月1日). 2018年11月4日閲覧。
  31. ^ Gina Lollobrigida Awards”. IMDb. 2018年11月4日閲覧。
  32. ^ 4. INTERNATIONALE FILMFESTSPIELE BERLIN 18-29 JUNI 1954”. DER BERLINALE. Kulturveranstaltungen des Bundes in Berlin GmbH. 2018年11月3日閲覧。
  33. ^ Golden Globe Awards for 'Gina Lollobrigida'”. Golden Globe Awards. 2018年11月3日閲覧。
  34. ^ Gina Lollobrigida faite commandeur des Arts et Lettres”. L'OBS (2004年2月23日). 2018年10月4日閲覧。
  35. ^ Archives nationales (France) (2012) (フランス語). Dossiers de Marjorie Lecointre, chargée de mission pour les Relations avec la presse et publiques. パリ: フランス国立中央文書館. p. 7 
  36. ^ Vincenzo Filippo Bumbica (2017年7月3日). “GINA LOLLOBRIGIDA: TRE VOLTE TRENT’ANNI DI UNA VITA TRASPARENTE”. SOCIAL UP MAGAZINE. 2018年11月3日閲覧。

外部リンク


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