ズラタン・リュビヤンキッチ
ズラタン・リュビヤンキッチ(Zlatan Ljubijankić、1983年12月15日 - )は、ユーゴスラビア (現:スロベニア)・リュブリャナ出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード。日本での登録名はズラタン[5]。 元スロベニア代表。 来歴クラブ7歳の時に父の影響でサッカーを始め、2002年にNKドムジャレに入団[6]。2006-07シーズンにリーグ戦で10得点を記録しタイトル獲得に貢献すると、2007年にジャーナリスト選出のスロベニア年間最優秀サッカー選手賞を受賞した[7]。同年夏にはスペインのRCDエスパニョールへの移籍の可能性が報じられた[8]。 2008年7月、ベルギーのKAAヘントに移籍し[9]、4年半の在籍期間中にリーグ戦125試合に出場し27得点を記録した[10]。 2012年7月にJリーグの大宮アルディージャに移籍した[4]。J1第21節のサンフレッチェ広島戦でPKによる初ゴール。30節の柏レイソル戦ではハットトリックを達成[11]。同じく夏に加入したスロベニア代表のチームメイト、ミリヴォイェ・ノヴァコヴィッチとともに後半戦の原動力となりチームのJ1残留に貢献した[11]。2013シーズンは第4節から第10節までの7連勝に貢献し、2013年4月の月間MVPを受賞したが[12]、シーズン終了後に僚友のノヴァコヴィッチが移籍。2014シーズンは7得点を記録したが、チームはJ2へ降格した[13]。 2014年12月15日、浦和レッズへ完全移籍。2018年12月13日、クラブから契約満了に伴い退団する事が発表された[14]。浦和での最後の試合出場となった第98回天皇杯決勝では、浦和で初めてキャプテンマークを巻いた。試合は1-0でベガルタ仙台を破り、浦和の12年ぶり天皇杯優勝に貢献し有終の美を飾った。 ズラタンが浦和を退団する際、同じポジションでライバルであったが仲のいい興梠慎三は、浦和のフロントに「俺の給料下げてでもいいから、残してくれ」とお願いしたという。その事をフロントから聞いたズラタンが、泣きながら興梠に「ありがとう」と感謝の意を伝えたと述べている。また、今でも阿部勇樹を通して、連絡をとっている事を鈴木啓太のYoutubeチャンネルで述べている[15]。 浦和退団後は、母国・スロベニアのチームでアマチュアとしてプレーしていた[16]。その後、自らの出身チームであるND SLOVANにて指導者としてのキャリアを開始、2021年現在、トップチームのヘッドコーチ(監督)を務めている。20-21シーズンでは3部リーグ昇格を果たした。 代表2006年2月28日、スロベニア代表としてキプロス戦でデビューし[17]、この試合で代表初得点を記録した[17]。 2010 FIFAワールドカップではグループリーグ3試合に出場し、第2戦のアメリカ戦では2点目のゴールを決めた[18]。試合はその後追いつかれ引き分けに終わったが[19]、自身はサッカー人生においてのベストゲームと評している[1]。 UEFA EURO 2016予選においてスロベニア代表は敗退し、自身も代表引退を表明した[20]。 個人成績
その他の公式戦
その他の国際公式戦
代表歴出場大会試合数
得点
タイトルクラブ
個人
脚注
関連項目外部リンク
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