セルヒオ・ガルシア (サッカー選手)
セルヒオ・ガルシア・デ・ラ・フエンテ(Sergio García de la Fuente, 1983年6月9日 - )は、スペイン・バルセロナ出身の元サッカー選手。元スペイン代表。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 経歴クラブバルセロナカタルーニャ州バルセロナ県に生まれ、FCバルセロナの下部組織で育った。2003年9月3日のセビージャFC戦(1-1)でトップチームデビューし、2003-04シーズンには4試合に出場した。2004年にはレバンテUDにレンタル移籍し[1]、レギュラーか控えフォワードの一番手としてトップリーグでも通用する選手であることを証明した。 レアル・サラゴサ2005年夏、レアル・サラゴサに移籍した。サイドハーフとしてもフォワードとしてもプレーできることから利便性が高く、2006-07シーズンにレギュラーに定着し、2007-08シーズンにはリーグ戦38試合すべてに出場したが、結局はセグンダ・ディビシオン(2部)に降格した。クラブが降格したことでレアル・サラゴサを離れるのではないかという噂がいっそう煽られ、2008年夏にはプレミアリーグのリヴァプールFC、トッテナム・ホットスパーFC、ウェストハム・ユナイテッドFC、ストーク・シティFCなどが獲得に興味を寄せた。マルセリーノ・ガルシア・トラル監督はプレシーズンの練習から彼を除外し、2008-09シーズン開幕戦のレバンテUD戦も招集外となった[2]。 レアル・ベティス2008年9月1日、移籍市場が閉まる直前に1000万ユーロ近くの移籍金でレアル・ベティスと契約した[3][4]。9月27日のレアル・マドリード戦(1-2)ではPKを止められたが、イケル・カシージャスに弾かれたボールをゴールに押し込み、移籍後初得点を挙げた。11月16日のラシン・サンタンデール戦(3-1)では2得点を挙げ、2009年1月18日のレアル・バリャドリード戦(3-1)では1得点1アシストの活躍を見せた。2月8日に行われたセビージャFCとのセビージャ・ダービー(2-1)では記念碑的な勝利に導く得点を奪った。4月4日のCDヌマンシア戦(3-3)では先制点を奪ったが、ゴールパフォーマンス中に膝を滑らせ、左膝靭帯を負傷して1ヶ月ほど離脱した。チームはこの期間に調子を落とし、自身は2シーズン連続となるセグンダ・ディビシオン(2部)降格が決定した。チームに残ることを決意し、2009-10シーズンはセグンダ・ディビシオンで自己最多の12得点を挙げたが、プリメーラ・ディビシオン(1部)昇格に失敗した。 エスパニョール2010年8月26日、ベテランのラウール・タムードをレアル・ソシエダに放出したRCDエスパニョールと5年契約を結んだ。1年目は3ゴール、2年目は5ゴール、3年目は7ゴール、4年目は12ゴール、5年目は14ゴールとシーズンを追う毎に得点力を発揮し、リーグ戦145試合41ゴールを記録した。2013-14シーズンからは主将も務めるなど、チームの精神的支柱であり攻撃の要であった。 アル・ラーヤン2015年6月29日、カタールのアル・ラーヤンSCに移籍することを発表した[5]。スペインのメディアによると、エスパニョールは移籍金150万ユーロ(約2億1000万円)を受け取り、セルヒオ・ガルシアは年俸250万ユーロ(約3億4000万円)の2年契約を結ぶと報道された。 エスパニョール復帰2017年6月16日、古巣のRCDエスパニョールへフリートランスファーで1年契約を結び、2年ぶりに復帰した[6]。 代表各年代の世代別スペイン代表に選ばれた経験がある。2008年までスペイン代表キャップがゼロであったが、FWボージャン・クルキッチとの争いに勝利し、UEFA欧州選手権2008に出場するメンバーに選ばれた[7]。5月31日、ペルーとの親善試合でダビド・ビジャとの交代で出場して代表デビューした。UEFA欧州選手権2008本大会グループリーグの初戦と2戦目は出場機会がなかったが、決勝トーナメント進出を確定させた後のギリシャ戦にはフル出場し、88分に左足からの精度の高いクロスでダニエル・グイサの決勝点をアシストした。 カタルーニャ選抜としてもプレーしており、2009年12月22日に行われたアルゼンチンとの非公式親善試合(4-2)では2得点を挙げた。 個人成績
タイトルクラブ
代表
脚注
外部リンク
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