セントレジャーステークス
セントレジャーステークス(St. Leger Stakes)は、イギリスのクラシック三冠および牝馬クラシック三冠の最終戦としてドンカスター競馬場芝コース1マイル6ハロン115ヤード(約2921メートル)で行われる長距離適性を審査する競馬の競走である。競走名は18世紀のスポーツ愛好家であったアンソニー・セントレジャーに由来する。出走条件は3歳限定で繁殖能力の選定のために行われるため、騸(せん)馬の出走はできない。世界最古のクラシック競走であり、日本の菊花賞のモデル競走。 沿革競馬の盛んだったドンカスターの街では1766年よりドンカスターカップが開催されていた。[2]同レースを提案したアンソニー・セントレジャー[注 1]らは1776年、より若い馬の実力を試す機会として後のセントレジャーステークスである競走を創設した。[2]しかし、レッド・ライオン・インという店に集まっていた街のクラブのメンバーが、翌年の第3回の直前の時期にレース名についての議論を行い、第1回優勝馬のオーナーであり地位が非常に高かった第2代ロッキンガム侯爵の推薦で提案者であるセントレジャー大佐が名前に起用されることとなった。[2] 当時の競馬はヒート競走が盛んで、若い3歳馬による1回限りで勝負が決着するセントレジャーは人気を博した(この成功を参考にオークスやダービーも作られた)。その後、クラシック体系が成立するにつれ、セントレジャーもその中に組み込まれるようになった。 20世紀初頭まではダービーを制する早熟性と長距離を走破するスタミナを併せ持つ馬が最上のサラブレッドと認識されており、セントレジャーステークスはクラシックレースの中でも最高の権威を誇っていた。 20世紀中ごろより徐々に有力馬の挑戦が減少し、レベル低下が顕著である。1970年にニジンスキーがこのレースを勝って三冠馬となったが、これ以降も有力馬の挑戦は増えず、3歳有力馬の多くは凱旋門賞やチャンピオンステークスに向かう傾向が強い。牡馬のクラシックホースの挑戦は、三冠がかかっている場合にようやく選択肢に入るかどうかである。ニジンスキー以降、春の牡馬クラシックホースの挑戦は1981年のダービー馬シャーガー(4着)、1987年のダービー馬リファレンスポイント(1着)、2012年の二冠馬キャメロット(2着)のみとなっている。 一方で牝馬クラシックホースの挑戦はそれなりに目立つ。21世紀以降でも2008年のルックヒアー(オークス馬)、2010年のスノーフェアリー(オークス馬)、2011年のブルーバンティング(1000ギニー馬)、2013年のタレント(オークス馬)等が出走した。他にもヨークシャーオークスや長距離の重賞を制した牝馬が出走することがあり、2015年には牝馬限定の長距離重賞リリーラントリーステークス(G3)を勝って挑んだシンプルヴァーズ(Simple Verse)が勝利している。 馬券売り上げは平地競馬では上位に位置している。コーラルによる2018年の売り上げは、イギリス国内で行われている平地競走の中で3番目だったと推定されている[3]。 主な前哨戦主な前哨戦はグレートヴォルティジュールステークス(G2)である。次いでゴードンステークス(G3)が重要だが、近年はグッドウッドカップや他の長距離G2・G3から挑む例も多い。牝馬はヨークシャーオークスやアイリッシュオークス、リリーラントリーステークスなど。他にアイリッシュダービー、パリ大賞典などからの直行組もいる。 他のヨーロッパ主要国では三冠体系が完全に崩壊しているが、イギリスにおいては少数ながらクラシック三冠を完走する馬も存在する。近年の有力馬では、2011年のBlue Bunting(1000ギニー1着、オークス4着、セントレジャー6着)、2012年のCamelot(2000ギニー1着、ダービー1着、セントレジャー2着)、2014年のKingston Hill(2000ギニー8着、ダービー2着、セントレジャー1着)らが全レースに出走した。 歴史
歴代優勝馬
各回競走結果の出典
各国のセントレジャー各国に「〜セントレジャー」と名のつくものや本競走をモデルとした競走が数多く施行されている。ただしいくつかは完全に三冠最終戦としての性格を失っており、古馬を含めた長距離戦としてやただの下級戦となっている例も有る。他方距離を短縮したりして生き延びている例もある。日本やトルコ、インドなどは当初の性格を残している。
脚注・出典参考文献注釈出典
関連項目
外部リンク
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