ダニー・アイエロ
ダニー・アイエロ(Danny Aiello, 1933年6月20日 - 2019年12月12日)は、アメリカ合衆国の俳優。 1970年代から数多くの作品に出演し、『ゴッドファーザー PART II』のトニー・ロサト役、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のヴィンセント役、『レオン』のトニー役、マリオ・プーゾのミニ・シリーズ『ザ・ラスト・ドン』のドン・ドメニコ役など、自身の出自を活かしたマフィア、ギャング映画の脇役としての仕事も多い。 1989年のスパイク・リー監督映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』のサル役[1] でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。 来歴生い立ちニューヨーク市マンハッタンでイタリア移民の両親の下に生まれる[2]。父ダニエル・シニアは肉体労働、ナポリ出身の母フランセスは針子として働いていた。ダニエル・ジュニアの下にも兄弟がおり、家族は両親と6人兄弟の大家族であった。 しかしダニエル・ジュニアがまだ幼少の頃、病気で妻が失明したにもかかわらず、父は家族を捨てた[3][4]。幼いダニエル・ジュニアは生活のため、新聞配達やグランドセントラル駅での靴磨きなどの仕事をこなした[5]。7歳の時にサウスブロンクスに転居し、ジェイムズ・モンロー・ハイスクールに入学する[6]。 軍歴16歳の時、年齢を偽って陸軍に入隊。3年で除隊された後はニューヨークへ戻り、グレイハウンド・バス社労働組合の代表を約10年務めた[5]。 30代半ばの頃にはナイトクラブの用心棒として働いていたが、ある夜、レギュラーの司会者が店に現れなかったため、急遽代役で司会や歌を披露した。それを見ていた仲間が演技で勝負をしていくよう強く勧めたことが、業界入りのきっかけである[5]。 キャリア1970年代初頭から映画の世界で活動を開始する[7]。ロバート・デ・ニーロ主演の野球映画『バング・ザ・ドラム』(1973年)の端役でデビュー。以降、下品で粗野なキャラクターから、ユーモラスな役、親切な小市民まで幅広い役柄を演じる脇役として活躍する。 1974年の『ゴッドファーザー PART II』ではトニー・ロサトを演じた。マイケル・コルレオーネに謀反を起こしたフランク・ペンタンジェリ(演者はマイケル・V・ガッツォ)を背後から襲撃して殺害しようとするシーンで、ロサトが言った有名な台詞「Michael Corleone says hello!」はアイエロのアドリブである。 1980年のジャン・マイケル・ヴィンセント主演『摩天楼ブルース』では暴漢に抵抗するマンハッタンの住民の一人を演じ、1981年のポール・ニューマン主演『アパッチ砦・ブロンクス』では人種差別主義の巡査を演じて高い評価を受けた。1984年、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』で再びデ・ニーロと共演。自身と同じ姓の警察署長ヴィンセント・アイエロを演じた。『ブロードウェイのダニー・ローズ』(1984年)、『カイロの紫のバラ』(1985年)、『ラジオ・デイズ』(1987年)といったウディ・アレン作品にも出演している。 1987年のロマンチック・コメディ『月の輝く夜に』では、シェール演ずるロレッタの婚約者ジョニーを演じ、ロバート・アルトマン監督のファッション映画『プレタポルテ』では女装にもトライした。1992年にはジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件の犯人リー・ハーヴェイ・オズワルドを殺害したジャック・ルビーの伝記映画『ジャック・ルビー』で主人公のルビー役を演じ、1994年の『レオン』ではジャン・レノ演じるレオンに仕事(殺し)の依頼を伝えるカフェの主人を演じた。 映画以外でも活躍しており、1981年にはABCの『ABC Afterschool Special』のエピソード『A Family of Strangers』でデイタイム・エミー賞を受賞したほか、マドンナの『パパ・ドント・プリーチ』のPVにも出演している。 歌も達者で、『ハドソン・ホーク』(1991年)、『ワンス・アラウンド』(1991年)などで披露しているほか、数枚のアルバムもリリースしている。 私生活息子のダニー・アイエロ3世はスタントマン、リック・アイエロは俳優となった。 2019年12月12日、ニュージャージー州の医療施設にて、感染症のために亡くなった[8]。86歳没。 主な出演作品
脚注
外部リンク |