ダルコ・パンチェフ
ダルコ・パンチェフ(マケドニア語: Дарко Панчев, ラテン文字転写: Darko Pančev、1965年9月7日 - )は、北マケドニア(旧ユーゴスラビア)の元サッカー選手。ポジションはフォワード。 経歴ユーゴスラビアが生んだ偉大なFWの一人。「コブラ」の愛称を持つ天性のゴールゲッター、利き脚、踵、膝、頭などあらゆる箇所を用いて泥臭くゴールを奪った。決して上手い選手では無かったがサポーターからは愛された。 特にレッドスター・ベオグラード時代は1990-91シーズンのUEFAチャンピオンズカップ、1991年のトヨタカップ[1]制覇など最良の時を過ごし、1991年度のバロンドール投票では第2位となった[2]。またユーゴスラビア代表では1990年のイタリアW杯でベスト8進出に貢献(対UAE戦で2得点)するなど27試合17得点の成績を残した[3]。 しかし1991年から始まったユーゴスラビア内戦は暗い影を落とした。1992年の欧州選手権スウェーデン大会はマケドニア独立後も辞退せずに留まっていたものの、同年5月22日にイビチャ・オシム監督の辞任に伴い代表を辞退(予選では10得点を記録し得点ランキング1位)、クラブでの活躍からレアル・マドリー、バルセロナ、マンチェスター・ユナイテッドなどへの移籍の可能性もあったものの[4]1992-93シーズンからインテル・ミラノに移籍、しかしレギュラーの座を掴む事が出来ず、レンタル移籍に出されるなど晩年は不遇を囲った。 現役引退後の2006年7月からFKバルダールのスポーツディレクターを務めている。 選手歴
代表歴
タイトルレッドスター・ベオグラード
個人
脚注
外部リンク
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