ティモシー・ゲーブル
ティモシー・ゲーブル(英語: Timothy Goebel, 1980年9月10日[1][2] - )は、アメリカ合衆国の元フィギュアスケート選手(男子シングル)。2002年ソルトレイクシティオリンピック男子シングル銅メダリスト。 1998年ISUジュニアシリーズファイナルにおいて、ISU公式戦で初めて4回転サルコウを成功させた選手であり[2]、1999年スケートアメリカにおいて、ISU公式戦で初めて1つのフリースケーティングで3度の4回転ジャンプ(4回転サルコウ-3回転トウループ、4回転トウループ、4回転サルコウ)を成功させた選手である[3]。 人物2016年4月、ピムコでアセットマネージャーとして働く男性との婚約を発表[5]、2017年4月29日に挙式が行われた[6]。 経歴4回転ジャンプを得意とし、クワドキング(4回転の王)と称えられた[2][7]。競技会で4回転サルコウ、4回転トウループを跳んだほか、練習では4回転ループにも成功していた[3]。 スケートを始めたのは4歳のとき[3][7]。1998年、ISUジュニアシリーズファイナルにおいて、史上初めて4回転サルコウを成功させて優勝[3][8]。1999年世界選手権では4回転サルコウ-3回転トウループを決め[7]、1999年スケートアメリカのフリースケーティングでは史上初めて3度の4回転ジャンプ(4回転サルコウ-3回転トウループ、4回転トウループ、4回転サルコウ)に成功した[3][7][9]。2002年ソルトレイクシティオリンピックでは3度の4回転ジャンプを成功させて銅メダルに輝いた。続く2002年世界選手権でも銀メダルを獲得した。 2002-2003シーズンは右臀部を傷めた影響でISUグランプリシリーズを欠場[7]。世界選手権でこそ2年連続の2位に入ったものの、翌2003-2004シーズンも万全の状態では迎えられず、スケートアメリカ、GPファイナル、全米選手権を棄権するなど苦しんだ[7]。2004-2005シーズンにはさらに首と背中を傷め、ロシア杯欠場を余儀なくされた[7]。度重なる怪我のため得意のジャンプも決まらなくなり[2]、2005-2006シーズンを最後に引退を表明した。 引退後はコロンビア大学で数学を学び、2010年5月に卒業。卒業後はニールセンに就職する予定である。現在もスケート界が行っているハーレム地区でのボランティアに参加し、週末にコーチを行っている[10]。後はGoogleでデータアナリストとして務めた[11]。 主な戦績
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プログラム
脚注
外部リンク |