ディーター・ミュラー
ディーター・ミュラー(Dieter Müller, 1954年4月1日 -)は、ドイツ出身のサッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード。元キッカーズ・オッフェンバッハ会長。 経歴選手時代1972年にキッカーズ・オッフェンバッハで選手キャリアを開始すると[2]、1973年に1.FCケルンへ移籍。ケルンではリーグ戦248試合に出場して159得点[3]、公式戦通算では326試合に出場して231得点を記録し[2]、1度のブンデスリーガ優勝 (1977–78) と、2度のDFBポカール優勝 (1976-77, 1977-78) に貢献[2]。個人としては1975-76シーズンに34得点、1976-77シーズンに24得点をあげてリーグ得点王となった[2][3]。また、1977年8月17日のヴェルダー・ブレーメン戦(7-2でケルンの勝利)においてダブルハットトリック(12分、23分、32分、52分、73分、85分)を達成した記録を持つが[3]、2014年の時点においてブンデスリーガ1試合最多得点記録となっている[4]。 西ドイツ代表としては1976年6月17日に行われたUEFA欧州選手権1976準決勝のユーゴスラビア戦で代表デビュー[5]。79分にピッチに立つと1分後の80分に初得点を決め2-2の同点に追いつくと[2]、延長戦でも2得点をあげてハットトリックを達成した[2][5][6]。決勝ではチェコスロバキア代表にPK戦の末に敗れたものの大会通算4得点をあげて得点王となった[2]。その後、1978年にアルゼンチンで開催された1978 FIFAワールドカップでもプレーするなど国際Aマッチ12試合に出場し9得点を記録した[7]。 クラブレベルではケルンを退団後にVfBシュトゥットガルトを経て、1982年にフランスのFCジロンダン・ボルドーへ移籍し、アラン・ジレスやジャン・ティガナらと共に2度のリーグ優勝 (1983-84, 1984-85) に貢献[8]。スイスのグラスホッパー・クラブ・チューリッヒや1.FCザールブリュッケンを渡り歩き、1989年に古巣のキッカーズ・オッフェンバッハで現役を引退した[2]。 引退後私生活では息子が脳腫瘍を患い、1997年に16歳で亡くなった[8]。 2000年、キッカーズ・オッフェンバッハの会長に就任し [9]、同年11月から12月にかけてオリヴァー・ロートとの共同で暫定監督を務めたが[10]、2012年9月に退任[11]。同年9月30日に自宅で心臓発作により倒れ昏睡状態となったが[11]、病状は回復した[8]。 個人記録代表での成績
代表での得点
脚注
外部リンク |