トスカーナ州
トスカーナ州(トスカーナしゅう、伊: Toscana)は、イタリア共和国中部に位置する州。州都はフィレンツェ。イタリア・ルネッサンスの中心地となったフィレンツェをはじめ、ピサ、シエーナなど多くの古都を擁している。文化遺産や自然景観に恵まれ、多くの観光客が訪れる。 地理位置・広がりイタリア半島の中西部に位置し、ティレニア海に(定義によってはリグリア海にも)面して、おおむね三角形状の領域を持つ。ティレニア海上にあるエルバ島など、トスカーナ群島と呼ばれる島々を管轄下に置く。州都フィレンツェは州域の北部に位置し、ボローニャから南へ約81km、ペルージャから北西へ約118km、ジェノヴァから東南東へ約197km、首都ローマから北北西へ約231kmの距離にある。 隣接する州は以下の通り。
地勢北東部はアペニン山脈によって区切られている。地形は丘陵が多く、アルノ川が盆地を形成している。 ピサ西側の地中海岸のヴィアレッジョとリヴォルノの間の地域には生物多様性に富む平野、砂丘、湿地および中生植物の森林やマツ林があり、ムラサキサギ、サンカノゴイ、アマサギなどが生息している。一帯は2004年にユネスコの生物圏保護区に指定されたほか[3]、2017年にマッサチュッコリ湖および周辺の湿地はラムサール条約登録地となった[4]。 また、エミリア=ロマーニャ州を跨ぐアペニン山脈一帯も2015年にユネスコの生物圏保護区に指定された[5]。 気候気候は沿岸部では温暖である。 主要な都市人口8万人以上のコムーネは以下の通り。人口は2011年1月1日現在[2]。
州都はフィレンツェ。ピサ、シエーナなど多くの古都を擁する観光地としても著名である。 歴史古代ローマの進出以前はローマの基礎を築いたとされるエトルリア人が多く住む土地で、トスカーナという名前も「エトルリア人の土地」を意味する(古代ローマ人はエトルリア人を "Tusci" と呼び、また "Etrusci" とも呼んだ)。ローマはエトルリア人を吸収し、トスカーナは本国の一部となった。 オドアケルが西ローマ帝国を滅亡させた時代の後は東ゴート王国、東ローマ帝国、ロンゴバルド王国の支配を経た。ロンゴバルド王国がカール大帝に征服されると、後に神聖ローマ帝国となる彼の帝国の一部となり、トスカーナ辺境伯により統治された。 都市コムーネの時代になると、ピサ(1509年まで)や、シエナ(1555年まで)、フィレンツェが台頭し、最終的にはルッカを除くトスカーナの大部分はフィレンツェ共和国(後にトスカーナ大公国)に統治された。 ルネサンス時代はレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サンティといったトスカーナ人が注目を浴びた。ローマを中心とするローマ教皇領と並び中心地の一つとなった。長くメディチ家の支配下にあったが、1737年にジャン・ガストーネ・デ・メディチが世継ぎを残さずに死ぬとハプスブルク家の支配下となった。ナポレオンの時代には、1801年から1807年までエトルリア王国が成立するが、ナポレオンが敗退するとハプスブルク家の下に戻った。1860年にサルデーニャ王国に併合され、翌1861年にイタリア王国が成立するが、その後も旧トスカーナ大公家は同族であるオーストリア皇帝家の庇護の下、20世紀初頭までトスカーナの領有権を主張した。 経済・産業主要な産業は農業で、ワイン、オリーブ、小麦などを生産している。特にワインはキャンティやスーペル・トスカーナといった名品を生産する、世界屈指の名醸地である。 グロッセート県北部のフォッローニカ、スカルリーノ、ガヴォッラーノ、マッサ・マリッティマ、モンティエーリ、モンテロトンド・マリッティモ、ロッカストラーダの7つのコムーネは過去に鉛、亜鉛、銅、銀、鉄、黄鉄鉱、ミョウバン、亜炭の採掘業が盛んであり、「トスカーナ鉱山ユネスコ世界ジオパーク」に指定される[6]。 行政区画トスカーナ州は、以下の10県から構成される。 左端の数字はISTATコード、アルファベット2文字は県名略記号を示す。人口は2011年1月1日現在[2]。面積の単位はkm²。
文化・観光言語2006年の国立統計研究所(ISTAT)の統計によれば、6歳以上の住民の家庭内での会話における言語状況は以下の通り[7]。イタリア語(Italiano)、地方言語(Dialetto)、他の言語(Altra lingua)についてのデータで、左列が全国平均、右列がトスカーナ州の数値である。標準イタリア語がトスカーナ方言をもとに創られていることもあり、「イタリア語のみ、あるいは主にイタリア語」を使用する割合がイタリアで最も高い。
世界遺産多くの古都を擁するイタリア屈指の観光地である。州には以下のユネスコ世界遺産がある。
食文化トスカーナ料理は「クッチーナ・ポーヴェラ」(イタリア語: Cucina povera)とも呼ばれる。日本語に直訳すると「貧しい料理」となり、基本的には庶民的な料理である[8]。地元で収穫できる野菜、豆を使い、肉類も良い部位ではなくスジ肉や内臓肉を使うことが多い[8]。肉については野ウサギやイノシシの肉もよく使われる[9]。塩気が強い料理が多い[8][9]。他の地域と比べて食材の特色が色濃く出ているのが特徴である[8]。 海沿いと内陸では使う食材が異なっている。内陸は保存食が発達しており、豆料理などが多い。海沿いでも豆料理はあるが、地中海で獲れる魚介類を豊富に用いる。オリーブオイル、塩を使わないパン(パーネ・トスカーノなど)がよく使われるのは共通である[8]。 他の地域の住人からトスカーナ人を「豆食い(伊: mangia fagioli)」と揶揄されることがあるくらい、トスカーナでは豆料理が食されている[10]。 トスカーナ料理の歴史この節の出典[11] 古代にエトルリア人が何を食べ、どのような調理をしていたのかは史料が発見されていないため詳細は不明であるが、古代ローマ時代に書かれたエトルリア人の食文化についての史料やバンディタッチャ墳墓の発見によって、少なくともエトルリア人上流階級の食事については推測が可能となってきている。 エトルリア人上流階級は昼食と夕食の1日2食であり、この習慣は古代ギリシアまたはアジアからもたらされたものと推測される。昼食は簡易なものであり、夕食は富と権力の誇示とコミュニケーションのために豪華であったものと推測される。この夕食は古代ギリシアと異なり女性も参加している。また、古代ローマ同様に横たわって食事をするのが作法であった。1日2食の習慣は現代にも引き継がれており、朝食はエスプレッソのみであったり、パンとチーズとワインで軽く済ませる多い。夕食が豪華なのも同様で、家族全員であったり参加者全員がそろって食事をして、歓談の場とする。テーブルいっぱいに料理が並べられ、数本のワインがボトルごと並べられる。 食材についてはアメリカ大陸原産の品を除けば、エトルリア人と現代とでは大差はなく、現在のトスカーナ料理の基礎はエトルリアの流れを汲んでいると考えるのが自然である。
交通空港旅客機が発着する空港には以下がある。 道路州内を走る主要な高速道路には以下がある。 スポーツサッカー州内に本拠を置くプロサッカークラブとしては以下がある。
4部リーグ(アマチュア最上位リーグ)のセリエDでは、ジローネD,Eに属する。トスカーナ州の地方リーグ(5部リーグ)として、エッチェッレンツァ・トスカーナ (it:Eccellenza Toscana) がある。 人物著名な出身者→「Category:トスカーナ州出身の人物」を参照
対外関係姉妹自治体・提携自治体
脚注出典
関連項目
外部リンク
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