ハイム・サバン(Haim Saban、1944年[6]10月15日 - )は、アメリカ合衆国で活躍する映画プロデューサー、実業家、作曲家。音楽家としてはクッサ・マーチ(Kussa Mahchi)名義で参加した作品もある。
サバン・キャピタル・グループ会長兼CEO[4]。サバン・ブランド会長[7]、ユニビジョン・コミュニケーションズ執行会長[8]。過去の肩書きにサバン・インターナショナル・パリ社長[9]、サバン・エンターテイメント会長兼CEO[10]、FOXファミリー・ワールドワイド会長兼CEO[11]、サバン・ミュージック・グループ会長兼CEO[8]、TF1グループ社外取締役[8]、ディレクTV社外取締役[8]などがある。
人物
エジプト生まれのユダヤ人で[2]、アメリカ合衆国とイスラエルの二重国籍者[2]。個人資産は約29億ドルで、世界1008番目(全米では295番目)の大富豪である[1]。
妻は心理学者、慈善家、脚本家、プロデューサーのシェリル・サバン[5]。1986年に自身のアシスタントとして雇ったのが出会いで、1987年に結婚[3]。声優のティファニー・クリスタンと女優のハイジ・レンハートは義理の娘にあたり、他に2人子供がいる[1][5]。
元イスラエル大統領のシモン・ペレスは親友[3]。民主党の最大の献金者の1人でもあり[12]、元アメリカ大統領のビル・クリントン、妻のヒラリー・クリントンとも親交が深く[2]、2008年と2016年にヒラリーが大統領へ立候補した際には、彼女を支持した[2][13]。
シオニストとしても知られており[14]、2002年にはブルッキングス研究所内にサバン中東学研究センターを設立している[4][2]。
経歴
幼少時代
エジプト王国・アレクサンドリアで[4]、玩具店員の息子として生まれる[3]。1956年のスエズ戦争の影響で、家族とともにイスラエル・テルアビブに移住した[3][15]。
イスラエル時代
イスラエルに移住した当初は路上でサボテンの実を販売していた[3]。寄宿制の農業学校に入学するが、トラブルメーカーだった為、退学し、夜間学校に入学[3]。14歳で肥し掃除の仕事を始める[16]。
イスラエルで旅行会社を設立し、ビジネスキャリアをスタートさせる[14][17]
イスラエル国防軍に入隊後、20歳の時[3]、ビートルズのカバーバンドに参加[18]。数ヶ月間、ベースギターを担当していたが[3]、後にバンドのマネージャーに専念するようになり[16]、友人のイェフダ・タリトとともに音楽プロモーターとして活動[3]。数年後にはサバン/タリト・プロダクションを設立した[16]。第三次中東戦争及び第四次中東戦争時には軍の慰問を担当していたという[3]。
第四次中東戦争の終結後、戦争の影響で予定していた琴の演奏会が中止になるなどして事業が後退し[2][16]、70万ドルの負債を負う[3]。
フランス時代
負債を負ったサバンは事態を打開するため[2]、1975年にビジネスパートナーだったシュキ・レヴィとともに[19]、フランス・パリに移住[2]。フランスに移住した理由は自身がフランス語に堪能だったことによる[2]。
フランスで最初に手がけた仕事は少年歌手ノアムのプロデュース[2]。1977年にサバン・インターナショナル・パリを設立[9]。1978年に音楽会社サバン・レコードを設立し、ノアムが歌う『UFOロボ グレンダイザー』のフランス版主題歌レコードをリリース[2]。同曲は大ヒットとなり、多額の利益を得る[16][2]。
サバンはフランスに輸入される外国製テレビ番組のフランス語吹替版用の音楽の制作を手がけるようになり[2][16][20][2]、DICエンターテイメントにも音楽出版権の確保を条件に制作した音楽を無償で提供し[3]、ラテンアメリカ地域向けのスペイン語版吹替版の音楽も手がけている[16]。
アメリカ時代
1983年(1980年説もある[10])にカリフォルニア州ロサンゼルスに移住後[4]、アメリカ国籍を取得[14]。
フランス時代と同様に音楽出版権の確保を条件にアニメーション制作会社に無償で音楽を提供し[3][2]、事業の基盤を築く[21]。アメリカにおいて、テレビ番組を再放送する際に音楽の再使用料を権利者に支払わなければならないが、サバンの音楽にはそれが必要ない為、制作会社にとって都合の良い提案だったとされる[2]。
1984年(1980年説[10]、1983年説もある[2])にサバン・プロダクション(後のサバン・エンターテイメント)を設立[22]。同年(1985年説もある[23])、日本を訪れた際にスーパー戦隊シリーズ[注釈 1]を視聴し、興味を持つ[2]。
1985年にスーパー戦隊シリーズの国際放映権(アジア地域を除く[19])を入手し[2]、『超電子バイオマン』をベースにアメリカで撮影した映像と組み合わせた作品『Bio-Man』を制作し、売り込みをかけるが、放送には至らなかった[3][25]。後年、FOXチルドレンズ・ネットワーク社長のマーガレット・ローシュがバイオマンに興味を抱いたことから[3]、1991年に東映にスーパー戦隊シリーズの輸入を打診し[26]、1993年にスーパー戦隊シリーズの英語版ローカライズ作品、パワーレンジャーを製作し大ヒットを記録[16]。この成功によりサバンはアメリカの子供向け番組業界のボス的存在になったとされる[23]。
1995年にサバン・エンターテイメントはFOXチルドレンズ・ネットワークと合併し、FOXキッズ・ワールドワイド(後のFOXファミリー・ワールドワイド)となる[2]。合併に際し、ルパート・マードックにパートナーになることを主張し、共同経営権を得る[2]。
2001年10月24日[4]、FOXファミリー・ワールドワイドをウォルト・ディズニー・カンパニーに約52億ドルで売却後[27]、サバン・キャピタル・グループ設立[4]。FOXファミリー・ワールドワイドの売却で17億ドルの利益を得るが[2]、これはハリウッドの歴史において個人が得た最大の利益とされている[21]。
2002年にカリフォルニア大学の理事となるが、2004年に辞任[28]。
2003年にはドイツの大手テレビ局プロジーベンザット1メディア買収を主導し[4]、同社監査役会の会長を務めた後[4]、2006年12月にプロジーペンザット1メディアをイギリスのPermiraとKohlberg Kravis Roberts & Co.の両社に売却[4]。
2017年3月、テレビ業界での貢献を記念しハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を刻んだ[17]。
慈善事業
1999年に妻のシェリル・サバンとサバン・ファミリー財団を設立し、慈善事業を行っている[5][4]。2008年にはロサンゼルス・フリークリニックに1000万ドルの寄付を行う[29]。それに感謝し、同病院はサバン・フリークリニックに改称された[29]。
2009年にはウィルシャー・シアターにも500万ドルの寄付を行う[2]。同劇場も寄付に感謝し、サバン・シアターに改称された[2]。
参加作品
テレビドラマ
テレビ映画
映画
タイトル |
公開年 |
担当 |
備考
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Round Trip to Heaven |
1992 |
製作総指揮 |
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パワーレンジャー・映画版 Mighty Morphin Power Rangers The Movie |
1995 |
製作 挿入歌作詞 |
音楽はクッサ・マーチ名義
|
パワーレンジャー・ターボ・映画版・誕生!ターボパワー Turbo A Power Rangers Movie |
1997 |
製作総指揮 挿入歌・EDテーマ作詞
|
ラスティ! Rusty: A Dog's Tale |
1998 |
製作総指揮 |
|
パワーレンジャー Power Rangers |
2017 |
製作 原作者 |
|
オリジナルビデオ
タイトル |
発売年 |
担当 |
備考
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Mighty Morphin Power Rangers: Alpha's Magical Christmas |
1994 |
製作総指揮 音楽 |
音楽はクッサ・マーチ名義
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Mighty Morphin Power Rangers Karate Club
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Mighty Morphin Power Rangers Lord Zedd's Monster Heads |
1995
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Mighty Morphin Power Rangers I'm Dreaming of a White Ranger
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Mighty Morphin Power Rangers The Good, The Bad And The Stupid
|
キャスパー:誕生編 Casper: A Spirited Beginning |
1998 |
製作総指揮 |
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リッチー・リッチ夢のマシンをとりもどせ! Richie Rich's Christmas Wish' |
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テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
タイトル |
発売年 |
担当 |
備考
|
Diabolik |
1998 |
製作総指揮 |
|
歌謡曲
タイトル |
発売年 |
担当 |
歌 |
備考
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幸せを僕に描いて Dessine-Moi Le Bonheur |
1974 |
作詞・作曲 |
ノアム |
訳詞 - さいとう大三
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花のようなリサ Quand on a vingt ans |
1975 |
作詞
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可愛い悪魔 Danse encore |
作曲 |
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舞台
タイトル |
公演年 |
担当 |
備考
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Mighty Morphin Power Rangers World Tour Live on Stage |
1994 - 1995 |
製作総指揮 音楽 |
音楽はクッサ・マーチ名義
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その他
タイトル |
放送年 |
担当 |
備考
|
Xボンバー |
1983 |
音楽 |
フランス語版
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Zoobilee Zoo |
1986 |
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The Super Mario Bros. Super Show! |
1989 |
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Captain N: The Game Master |
|
Hallo Spencer |
製作総指揮 音楽 |
|
Great Pretenders |
1999 |
テーマソング作曲 |
クッサ・マーチ名義
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脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e “Haim Saban”. Forbes. 2021年8月22日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 豊永真美「パワーレンジャーをヒットさせた男−ハイム・サバンと日本のコンテンツ」『一橋ビジネスレビュー』2010 WIN、東洋経済新報社、2010年、38 - 44頁、ISBN 978-4492820469。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “Haim Saban, producer, in Hollywood, Washington, Israel”. ザ・ニューヨーカー (2010年5月10日). 2022年6月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “Haim Saban”. サバン・キャピタル・グループ. 2009年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月29日閲覧。
- ^ a b c d e f “About Cheryl”. シェリル・サバン公式サイト. 2013年7月29日閲覧。
- ^ “L.A. Trading Card: Haim Saban”. Los Angeles Magazine. 2015年9月18日閲覧。
- ^ “次にハリウッド映画化されるのは、スーパー戦隊シリーズ「パワーレンジャー」”. WIRED.jp. 2014年5月10日閲覧。
- ^ a b c d “Company Overview of Saban Music Group, Inc”. ビジネスウィーク. 2013年6月13日閲覧。
- ^ a b “フランス、スペインのアニメーション市場 視察報告書” (PDF). 一般財団法人 デジタルコンテンツ協会. 2010年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月14日閲覧。
- ^ a b c “Saban Seeks Older TV Audience : Programs: The founder of Saban Entertainment, which produces children's shows, takes the leap to prime time.”. ロサンゼルス・タイムズ. 2017年12月6日閲覧。
- ^ “News Corp. and Haim Saban Reach Agreement to Sell Fox Family Worldwide to Disney for $5.3 Billion”. サバン・キャピタル・グループ (2001年7月24日). 2012年9月21日閲覧。
- ^ 成嶋弘毅『日本人の心を奮い立たせるサムライの言葉』PHP研究所、2011年、195頁。ISBN 978-4569795270。
- ^ “ヒラリー・クリントンの最大スポンサー –日本アニメ・特撮で成り上がった男:ハイム・サバンの軌跡-1-”. アニメ!アニメ!ビズ (2016年6月24日). 2017年1月7日閲覧。
- ^ a b c “サバンと戦隊シリーズの不思議な人生”. アニメ!アニメ!ビズ (2005年7月29日). 2017年4月5日閲覧。
- ^ “Haim Saban, friend to Israel and Democrats”. ロサンゼルス・タイムズ (2009年4月22日). 2012年6月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “Fox Family Worldwide, Inc. History”. Fundinguniverse.com. 2015年9月23日閲覧。
- ^ a b “Power Rangers’ creator Haim Saban gets Hollywood Walk of Fame star”. LA Daily News (2017年3月22日). 2017年4月5日閲覧。
- ^ “NAB2014もうひとつの視点 Vol.02 NABオープニング基調講演〜業界を取り巻く現状と未来”. プロニュース. 2014年5月6日閲覧。
- ^ a b “Schlepping to Moguldom”. ニューヨーク・タイムズ. 2014年3月26日閲覧。
- ^ 大前京太郎(構成・文)、NIRDY(構成・文)、ヤス(構成・文)「ガオレンジャーVSパワーレンジャー」『フィギュア王』No.44、ワールドフォトプレス、2001年、31頁、ISBN 978-4846523183。
- ^ a b “Haim Saban's Mighty Transformation”. Variety (2013年2月25日). 2014年4月28日閲覧。
- ^ “我が国のコンテンツの海外における「ゲートキーパー」プロファイリング調査(米国編)” (PDF). 日本貿易振興機構. 2016年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月7日閲覧。
- ^ a b c アン・アリスン 著、実川元子 訳「パワーレンジャー」『菊とポケモン―グローバル化する日本の文化力』新潮社、2010年、154-159頁。ISBN 978-4105062217。
- ^ 安藤幹夫構成「吉川 進 スペシャルインタビュー」『東映スーパー戦隊大全 バトルフィーバーJ・デンジマン・サンバルカンの世界』双葉社、2003年、12頁。ISBN 4575295205。
- ^ “Kidd Stuff : A Crop of New Shows Sprouts From Saban Firm's TV Success”. ロサンゼルス・タイムズ. 2013年5月14日閲覧。
- ^ 戸澤好彦構成「スーパー戦隊コラム05【パワーレンジャー】」『25大スーパー戦隊シリーズ完全マテリアルブック 下巻』勁文社、2002年、96頁。ISBN 978-4766941081。
- ^ “Fox Family Worldwide, Inc.”. サバン・キャピタル・グループ. 2014年4月28日閲覧。
- ^ “Businessman Resigns From Board of Regents”. ロサンゼルス・タイムズ (2004年4月9日). 2013年7月28日閲覧。
- ^ a b “The History of The Saban Free Clinic”. サバン・フリークリニック. 2013年7月28日閲覧。
- ^ 戦国魔神ゴーショーグン・亜空大作戦スラングルのアメリカ編集版
- ^ 科学忍者隊ガッチャマンII・科学忍者隊ガッチャマンFのアメリカ編集版
- ^ 『デジモンアドベンチャー』・『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』・『デジモンアドベンチャー02 デジモンハリケーン上陸!! 超絶進化!! 黄金のデジメンタル』のアメリカ編集版
外部リンク