バーミンガム・ロイヤル・バレエ団
バーミンガム・ロイヤル・バレエ団(Birmingham Royal Ballet)は、ロイヤル・バレエ団、イングリッシュ・ナショナル・バレエ団、ノーザン・バレエ団、スコティッシュ・バレエ団と並ぶ、英国の5大バレエ団の1つである。1946年、ロイヤル・オペラ・ハウスが再開されるにあたってサドラーズ・ウェルズ・バレエ団が傘下に置かれることになり、その際に一部のダンサーをサドラーズ・ウェルズ劇場に残して作られたサドラーズ・ウェルズ劇場バレエ団が源流である。 サドラーズ・ウェルズ劇場バレエ団は芸術監督ジョン・フィールドの指揮のもとサドラーズ・ウェルズ劇場で活動を続け、1977年にはロイヤルの名を用いることが認められてサドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団となった。1990年にバーミンガムに移転するにあたって国内・海外巡演を行った。その際、バーミンガムではバーミンガム・ヒポドローム劇場を会場とした。バーミンガム・ロイヤル・バレエ団は、ダンス・スタジオの他、ダンス傷害の予防と治療のためのジャーウッド・センター(Jerwood Centre for the Prevention and Treatment of Dance Injuries)や、スタジオ・シアターのパトリック・センターなどの専用施設を有している。1997年には、ロイヤル・バレエ団から独立を果たした。 歴史1926年、アイルランド生まれのダンサー、ニネット・ド・ヴァロアは、女子向けのダンススクール "Academy of Choreographic Art" を設立した。ド・ヴァロアはかねてからレパートリーを持って上演するバレエ団と、その付属校を作ることを望んでおり、舞台プロデューサー・劇場オーナーであったリリアン・ベイリスと出会ったことで実現に踏み出した。オールド・ヴィック・シアターとサドラーズ・ウェルズ劇場を所有していたリリアン・ベイリスは、1925年にド・ヴァロアと契約して両劇場でダンスを上演する機会を与えた(ただし、この時点ではサドラーズ・ウェルズ劇場は荒廃して再建中であった)。 サドラーズ・ウェルズ劇場は1931年に再建され、劇場の敷地内にヴィック・ウェルズ・バレエ団とヴィック・ウェルズ・バレエ学校が設立された。これが現在のロイヤル・バレエ団およびバーミンガム・ロイヤル・バレエ団、そしてロイヤル・バレエ学校の前身となった。 1937年11月にリリアン・ベイリスが亡くなり、1939年にはオールド・ヴィック・シアターとの繋がりがなくなってしまった。第二次世界大戦が始まると1940年にサドラーズ・ウェルズ劇場も閉鎖の憂き目に遭った。これを受けて国内を巡演せざるを得なくなったが、これがかえってサドラーズ・ウェルズ・バレエ団の名を知らしめることになった。終戦後はサドラーズ・ウェルズ劇場に戻ったが、1946年にコヴェント・ガーデンに新装なったロイヤル・オペラ・ハウス付きのバレエ団として招聘された。ロイヤル・オペラ・ハウスでの初公演は、ニネット・ド・ヴァロアによる『眠れる森の美女』であった。 移転に伴ってバレエ学校もその敷地内に移転し、サドラーズ・ウェルズ劇場で引き続き公演を行う姉妹バレエ団としてサドラーズ・ウェルズ劇場バレエ団が設立された。これがバーミンガム・ロイヤル・バレエ団の前身である。サドラーズ・ウェルズ劇場バレエ団の初代芸術監督はジョン・フィールドであった。ジョン・フィールドは後にロイヤル・バレエ団の共同芸術監督になり、スカラ座バレエ団やイングリッシュ・ナショナル・バレエ団の芸術監督も歴任した。 1955年、サドラーズ・ウェルズ劇場バレエ団はサドラーズ・ウェルズ・バレエ団を親カンパニーとする巡演用バレエ団となってサドラーズ・ウェルズ劇場付きではなくなり、ロイヤル・オペラ・ハウスに移転した。 1956年にはバレエ団とバレエ学校に王立(Royal)の名を冠することを認める勅許状が下され、サドラーズ・ウェルズ・バレエ団がロイヤル・バレエ団、サドラーズ・ウェルズ劇場バレエ団がサドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団、サドラーズ・ウェルズ・バレエ学校がロイヤル・バレエ学校に改称された。 サドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団は1970年にサドラーズ・ウェルズ劇場に戻ったが、引き続き国内巡演を行った。1987年にはバーミンガム・ヒポドローム劇場から常設バレエ団として招聘を受けた。これを受けて1990年にバーミンガムに移転し、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団に改称された。 1977年から1995年までピーター・ライトが芸術監督を務め、その引退後はデヴィッド・ビントレーが引き継いだ。1997年にはバーミンガム・ロイヤル・バレエ団はロイヤル・バレエ団から独立し、ロイヤル・オペラ・ハウスの管理を離れた。2019年1月には、キューバ人ダンサーのカルロス・アコスタが2020年1月からビントレーの後任として芸術監督に就任することが発表された。 所属ダンサープリンシパル
関連項目
脚注
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