ブラッドリー・バンペルト
ブラッドリー・バンペルト(Bradlee Van Pelt 1980年7月3日- )はミシガン州オウォッソー出身の元アメリカンフットボール選手。NFLのデンバー・ブロンコス等でプレーした。現役時代のポジションはクォーターバック、セイフティ。父親はオールプロに選出されたこともあるラインバッカーのブラッド・バンペルト[1]。 経歴カリフォルニア州サンタバーバラのサンマルコス高校ではクォーターバックとセイフティでプレーした。最終学年の1998年には、パス155回中89回成功(パス成功率57.4%)、1,265ヤード、13TD、ランでも1,294ヤードを走って24TD、ディフェンスでは41タックル、3インターセプトをあげた[2]。 当初父親の母校でもあるミシガン州立大学に進学した。1年次を終了したところで、ニック・セイバンヘッドコーチがルイジアナ州立大学に去り、バンペルトはクォーターバックからディフェンスバックにコンバートされそうになった。クォーターバックとしてプレーすることを望んでいた彼は、コロラド州立大学へ転校、最終学年には2,845ヤードを投げてパス成功率は60%を超えた[3]。 2004年のNFLドラフト7巡でデンバー・ブロンコスに指名された[4]。2シーズンを第2QBとして過ごしたが、2006年のドラフトでジェイ・カトラーが入団するとデプスチャートで、ジェイク・プラマー、カトラーに次ぐ第3QBとなった。同年9月2日、ブロンコスから解雇された。 2006年11月27日、控えQBのセイジ・ローゼンフェルスが故障者リスト入りしたヒューストン・テキサンズと契約、同チームの第3QBとなった。テキサンズのヘッドコーチは、元ブロンコスのコーチゲイリー・キュービアックであった[5]。 2007年3月、テキサンズと契約延長を果たしたが[6]、8月27日、解雇された[7]。 2009年3月、ブロンコスでセイフティとして復帰することを表明したが[8]、トライアウトの結果契約には至らなかった[9]。同年、イタリアのベルガモ・ライオンズと契約、クォーターバックとセイフティとして出場した。 イタリアでのシーズンが終了した後、2010年7月にイギリスのレスター・ファルコンズに加入、チームのMVPに選ばれる活躍を見せ[9]、同チームをプレーオフに導いた。 現役引退後は、Sky SportsでNFLのスタジオアナリストを務めている[9]。 人物2012年1月、ポスト誌のインタビューで自身とティム・ティーボウの似ている点について触れている[9]。 脚注
外部リンク
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