プラチュワップキーリーカン県
プラチュワップキーリーカン県(プラチュワップキーリーカンけん、タイ語: จังหวัดประจวบคีรีขันธ์ )はタイ王国・中部の県(チャンワット)の一つ。ペッチャブリー県、チュムポーン県と接し、ミャンマーとの国境を有する。略してプラチュワップと呼ばれる(以下そのように表記)。日本の報道ではプラチュアプキリカン県との表記も見られる[1]。 地理プラチュワップはマレー半島の北部にあり、タイの県の中でも格別に狭くなっている。特に県庁所在地の南部においてはタイランド湾からミャンマー国境までは、13kmしかなく、面積は群馬県とほぼ同じ。 タイランド湾側の海岸は砂浜が広がっている。そこで、ラーマ7世はここにクライカンウォン宮殿という離宮を建造した。その後、特に隣のペッチャブリー県の一部地域を含めたチャアム=フワヒンを中心に海岸が開発されレジャーが発達した。一方で海岸から険しい山までの距離が短く、1,494メートルもあるルワン山がある。 県内には1966年に設置されたカオ・サームローイヨート海洋国立公園があり、タイで最大の淡水湿原を有する。また、公園内にはマングローブ林や泥地帯もある。 気候ケッペンの気候区分ではサバナ気候に区分される。乾季は12月~4月であり、日照に恵まれ高温となる時期である。5月~11月は雨季で、タイ国内では雨季の降水量が少ないほうであり、曇りや雨の日は多いものの降水量は多くならない。雨季の終わりである10月~11月前半は降水量が多くなる。
歴史1767年にアユタヤ王朝が滅んだ後、プラチュワプは置き去りにされてきたが、1845年に再建設が始まった。 ラーマ2世により現在のムアンプラチュワップキーリーカン郡にムアンバーンナーンロム (เมืองบางนางรม) という町が建設された。しかし、土地があまり豊かでなかったため、ムアンクイ(เมืองกุย, 現・クイブリー郡)に移転した。その後ラーマ4世(モンクット)はタイランド湾の反対側に位置するムアンパーチャンタキーリーケート(現・カンボジア領ココン)を意識して、ムアンバーンナーンロムをムアンプラチュワップキーリーカン(プラチュワップキーリーカン県)と改称した。 ラーマ4世(モンクット王)は独学で学んだ天文学によって日食の場所・時刻を発見し、1868年9月18日にここを訪れ、予測通り観測できたといわれる。しかし、観測場所に選んだサームローイヨート付近はマラリアのはびこる地帯であったため、ラーマ4世もこれに伝染し、2週間後崩御したという。 1894年、ラーマ5世(チュラーロンコーン)はプラチュワップキーリーカン県をペッチャブリー県の管轄下に置いた。その後1898年ラーマ5世はクイブリー県の県庁をプラチュワップ湾に移転し、その後の1906年プラーンブリー県、カムヌートノッパクン県、プラチュワップキーリーカン県を統合し、プラーン県とし、モントン・ラーチャブリーの管轄下に置いた。1915年8月16日ラーマ6世(ワチラーウット)は地名の混乱を避けるため再び、プラチュワップにプラチュワップキーリーカン県という名前を付けた[4]。 また、旧日本軍が1941年12月8日に太平洋戦争時に上陸したのもプラチュワップである。 2022年12月18日、同県より約40km南の海域にてコルベット艦のスコータイが転覆・沈没した[1]。 県章ラーマ5世がサームローイヨート副郡のカオ・サームローイヨート海洋国立公園、プラヤーナコーン洞窟に建てたクーハーカルハット宮殿(休息所)がデザインされている。 県木・県花は Manilkara hexandra である。 隣接する県行政区プラチュワプキーリーカーン県は8の郡(アムプー)に分かれ、その下位に48の町(タムボン)と、388の村(ムーバーン)がある。 脚注
関連項目外部リンク
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