ベニー・サップ
ベニー・サップ(Benny Sapp 1981年1月20日- )はフロリダ州フォートローダーデール出身の元アメリカンフットボール選手。現役時代のポジションはコーナーバック。 経歴4歳になる直前に父親が殺害された[1]。高校時代はアサンテ・サミュエルとチームメートだった[2][3]。フロリダ州内の大学からのオファーもあったが、彼はアイオワ大学を進学先に選んだ[1]。 アイオワ大学で2年間、24試合に出場し104タックル、3インターセプトをあげたが、度重なる警察沙汰を起こしたことから2002年にチームを追われ[1]、その後北アイオワ大学で2年間に24試合に出場し78タックル、6インターセプト、29パスディフレクト、4ファンブルフォースの成績を残した。 2004年、ドラフト外フリーエージェントでカンザスシティ・チーフスと契約を結び[3]、1年目はスペシャルチーム、ニッケルバックとして起用され15タックル、1インターセプトをあげた[1]。 チーフスには2007年まで所属、シーズン終了後フリーエージェントとなった[4]。 2008年、ミネソタ・バイキングスと契約を結んだ。この年チャールズ・ゴードンが負傷して離脱した後、ニッケルバックとして起用され[3]、22タックル、2インターセプトをあげた。 2009年3月3日、チームと1年間の再契約を結び、2010年3月9日には2年間の再契約を結んだ。 2010年8月25日、マイアミ・ドルフィンズのグレッグ・カマリロとトレードされた[2]。この年、主にニッケル隊形で起用され2インターセプト、10パスディフレクトをあげた。 2011年、9月12日のニューイングランド・ペイトリオッツとのマンデーナイトフットボールで、第4Qに敵陣1ヤード地点からの守備で、トム・ブレイディからパスを受けたウェス・ウェルカーへのタックルで足をすべらせミス、99ヤードのTDレシーブを許した[5]。翌日ドルフィンズから解雇された[6]。同年11月、アントワン・ウィンフィールドがシーズン絶望となったことから、古巣のバイキングスと1年契約を結んだ[7]。 人物チーフス時代のヘッドコーチ、ハーマン・エドワーズからはコーナーバックタイプというより、セイフティタイプであると見られていた[4]。 彼の息子のベニー・サップ3世もNFL入りしており、2023年にグリーンベイ・パッカーズで5試合に出場した。2024年12月にアトランタ・ファルコンズとプラクティススクワッド契約を結んだ。 脚注
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