ボビー・ティモンズ
ボビー・ティモンズ(Bobby Timmons)ことロバート・ヘンリー・ティモンズ(Robert Henry Timmons、1935年12月19日 - 1974年3月1日)は、アメリカ合衆国のジャズ・ピアニストで作曲家[1]。 略歴牧師の息子として生まれる。 フィラデルフィア音楽院に進学し、最終的にはトレニアーズのもとでリズム・アンド・ブルースを演奏する。 1956年にケニー・ドーハムが率いるジャズ・プロフェッツのメンバーとなり、同年5月のライブで初めて録音を経験した。その後はチェット・ベイカーやソニー・スティット、メイナード・ファーガソンと共演している。世界的に名を揚げたのは、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズのメンバーとしてであった(在籍期間は1958年-1959年および1961年)。1959年から1960年までキャノンボール・アダレイとも共演するが、1960年に再びブレーキーのもとに復帰してアダレイを落胆させた。J・J・ジョンソンとも共演して、自身のトリオを率いることができるようになった。ほかにもハンク・モブレーやリー・モーガン、ドナルド・バード、ケニー・バレル、アート・ファーマー、ペッパー・アダムスの録音において伴奏者に迎えられている。 奏法の特色と後世への影響メリハリの効いた強い打鍵とブロック・コード奏法が特色であり、特にファンキー色の強い曲において持ち味を発揮した。 ティモンズのピアノ奏法は、レッド・ガーランドに受け継がれた。ティモンズはソウル・ジャズのピアニストに位置付けられるが、フレージングにおいては次第にブルースやゴスペル寄りになっていき、レス・マッキャンやラムゼイ・ルイスに影響を与えた。 作曲家としては、ブレイキーに提供した「モーニン(Moanin')」や「ダット・デア(Dat Dere)」、キャノンボール・アダレイに提供した「ジス・ヒア(This Here)」といったヒット曲を次々と世に送り出している。これらの楽曲はいずれも、ゴスペルに如実に影響されたソウル・ジャズ様式の典型である。 出典参考文献
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