マイク・マンジーニ
マイク・マンジーニ(Mike Mangini、1963年4月18日 - )は、アメリカのドラマー、ミュージシャン。エクストリームやスティーヴ・ヴァイなどとの活動や、2002年から2005年にかけてドラム世界最速記録を5つ保持していたことなどで知られる。2010年から2023年の間にドリーム・シアターに在籍。 来歴5歳のときにドラムを習い始める。[1]1日に6時間から10時間も練習し、9歳になる頃には既にバディ・リッチをコピーしていたという。高校に入る頃には学校のバンドに参加し、学外でも様々なアンサンブルに顔を出していた。 高校卒業後は一旦は音楽から離れ、大学ではコンピューターを専攻する。卒業後はボストンでドラム講師をしたりバンド活動をしていた。 1991年にテクニカル・スラッシュ・メタルバンド、アナイアレイターに加入し、1993年にアルバム『セット・ザ・ワールド・オン・ファイア』のレコーディングを行いツアーにも参加する。 1994年にはポール・ギアリーの穴を埋める形でヌーノ・ベッテンコート率いるエクストリームに加入。ヌーノとは同じ東海岸出身ということで旧知の仲であった。1995年にアルバム『ウェイティング・フォー・ザ・パンチライン』のレコーディングに参加しツアーに同行するも、翌1996年にバンドは解散する。 同年、スティーヴ・ヴァイのオーディションを受けバンドに加入し、西海岸へと移住。1996年から2000年までヴァイのドラマーとして活躍し、高い評価を得る。2枚のアルバム、『ファイヤー・ガーデン』と『ウルトラ・ゾーン』をレコーディングし、ツアーに同行。ライブ盤の『アライヴ・イン・ウルトラワールド』でドラムを叩いているのもマンジーニである。 2000年にバンドから脱退し、ボストンに帰りバークリー音楽大学で教鞭をとりはじめる。 講師活動をしながらもセッション・ドラマーとして数々の作品に参加し、2005年にはジェイムズ・ラブリエのソロ・アルバムに参加。2007年にはかつて在籍したアナイアレイターのアルバム『メタル』にも参加している。 2010年10月、プログレッシブ・メタルバンド「ドリーム・シアター」の初代ドラマーであるマイク・ポートノイの脱退に伴い行われた新ドラマーのオーディションに1番手として参加。マルコ・ミンネマン、ピーター・ウィルドア、ヴァージル・ドナティ、アキレス・プリースター、デレク・ロッディ、トーマス・ラングといった錚々たるドラマー陣との混戦を制し、新ドラマーとして選ばれてバンドに加入。時期を同じくしてバンドの活動に専念するため大学での職を辞した。翌2011年1月からレコーディングに参加。 4月にはオーディションの様子が公開されることが告知され、4月29日(日本では4月30日)、YouTubeでのドキュメンタリーにてマンジーニがドリーム・シアターの新ドラマーであることが正式に公表された。 2015年、UKの「UK FINAL TOUR IN JAPAN コンサート」にスペシャルゲストとして参加した[2]。 2023年10月25日に約13年間在籍したドリーム・シアターから脱退[3][4]。その後、同年11月11日にソロ・デビュー・アルバム『Invisible Signs』をリリースした。 音楽性2002年から2005年にかけてドラムの連打最速記録を5つ保持していたことにもあらわれているように、高速かつ正確なテクニックを得意とする。ライブ盤『アライヴ・イン・ウルトラワールド』に収録されている楽曲では、演奏中に弦が切れてしまったヴァイがそれを交換する間をつなぐためにバンドに色々なことをさせるが、マンジーニには「世界最速のツーバスを踏みながら世界最速のスネアロールをして、かつクラッシュシンバルをミュートさせる」という無茶振りとも思えるお題が与えられているが、それをこなしてみせている。 なお、保持していた(いる)世界記録は以下の通り。
ドリーム・シアター加入の際のオーディションでは、1番手として参加し、ジョン・ペトルーシは「他の候補者のハードルを高めた」と高く評価した。[5] 使用しているドラムメーカーはパール、シンバルはジルジャン。[1]パールからは生産数限定でマイク・マンジーニ・モデルのスネアドラム「Φ(Phi)」が発売されていた。ドリーム・シアターで使用するセットは、ドラムラックを二段重ねにしてそこに多数のシンバルやタムタム、パーカッション類を並べる超多点セットとなっている。 ディスコグラフィリーダー・アルバム
参加アルバム
他多数のアーティスト・アルバムでもレコーディングをしている。[6] 脚注
外部リンク
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