マルク・オーフェルマルス
マルク・オーフェルマルス(Marc Overmars, 1973年3月29日 - )は、オランダ・エムスト出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFWで、左右どちらでもこなせるウインガー。ゴー・アヘッド・イーグルスでプロデビューを果たし、ヴィレムIIを経て1992年にアヤックスに移籍。その後はアーセナルFCそしてFCバルセロナで引退した。しかし、2009年にGAイーグルスで現役復帰を果たしたが、怪我のため1シーズンで現役復帰を断念した。 来歴オランダ時代2年半の間、イーグルスの下部組織でサッカーを学ぶと1990-91シーズンにトップチームに昇格し、エールステ・ディヴィジで11試合に出場した。シーズン終了後、才能に目を付けたヴィレムIIが、当時の若手選手に支払う額としては高額な50万ユーロで獲得した。ヴィレムでは、デ・フラーフスハップ戦で初ゴールを決めるなど[1]、31試合に出場した。 1992年、アヤックス・アムステルダムに移籍した。1992年8月16日、FCドルトレヒト戦で移籍後デビューを果たし、9月16日のUEFAカップ1回戦レッドブル・ザルツブルク戦で移籍後初ゴールを挙げた[1]。この1992-93シーズン、エールディヴィジにおいて全試合スタメンフル出場を達成し、その年のオランダ年間最優秀若手選手賞を受賞した。翌1993-94シーズンはリーグ戦で12得点を記録し、キャリア初の2桁得点となった。クラブもエールディヴィジを制覇した。 1994-95シーズン、ヤング・アヤックスと呼ばれたチームでUEFAチャンピオンズリーグ準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦では1ゴール1アシストを決め[2]、決勝進出に貢献、決勝ではACミランを破り、優勝を成し遂げ、国外のビッククラブから獲得オファーが相次いだが、それ以降もクラブに留まり、アヤックスでプレーすることを継続した。、同年のバロンドールでは第8位に入った[3]。1995-96シーズン、12月20日、デ・フラーフスハップとのリーグ戦で相手DFロブ・マテューイのタックルを喰らい左膝の前十字靭帯を断裂。長期の離脱を余儀なくされた。このシーズン、クラブは再びCL決勝にコマを進め、ユヴェントスFCと対戦するも、オーフェルマルスのいないアヤックスは敗れてしまった。1996-97シーズンにチームへと復帰し、25試合に出場。2得点に終わった。リーグ最終節のフィテッセとの試合に出場しゴールを決めたが[1]、アヤックスでの最後の出場となった。 アーセナル1997年6月、プレミアリーグのアーセナルFCに移籍し、5年契約を結んだ[4]。8月9日のリーズ・ユナイテッドFC戦でプレミアリーグデビューを果たし、2週間後のサウサンプトン戦で初ゴールを挙げた[1]。また、1998年3月14日の優勝争いをする上で絶対に落とせないマンチェスター・ユナイテッド戦では、1-0での勝利に繋がる決勝ゴールを決めた[1]。最終的に移籍1年目はリーグ戦で12得点を挙げるとともに[1]、プレミアリーグ優勝、FAカップ優勝の二冠獲得に貢献、FAカップ決勝のニューカッスルとの対戦では先制点を決め優勝に貢献した[5]。翌シーズンは、得点はコミュ二ティシールドのマンチェスター・ユナイテッド戦ではゴールを決め[1]、優勝に貢献、得点は12から6へと減少したが[1]、アシスト数を5から13へと伸ばし、デニス・ベルカンプに多くの得点機会を与えた。アーセナルでの3シーズン、左サイドのレギュラーとして活躍し、在籍3年で公式戦142試合41得点の成績を残した[6]。 バルセロナ2000年7月、バルセロナが当時のオランダ人プレイヤーとしては最高額となる約32億円の5年契約で彼を獲得した[6]。1年目は安定した出場機会を得ていたが、以降は頻繁に負傷離脱を繰り返すようになり、2003-04シーズン終了時、現役引退を表明した[7]。 1シーズン限りの現役復帰バルセロナでの引退から1年の休養を経て2005年、オーフェルマルスは自身がプロデビューを果たしたゴー・アヘッド・イーグルスでクラブ経営を行っていた。フロント入りして3年がたった2008年8月の事、同胞ヤープ・スタムの現役引退記念試合に出場したオーフェルマルスだったが、その試合を観戦していたゴー・アヘッド・イーグルスのコーチがオーフェルマルスがまだプロとして十分プレーできることを見抜き、彼にGAイーグルスでの現役復帰を打診したところ、オーフェルマルスは2つ返事で快諾し、現役復帰が決まった[8]。イーグルスでは主に途中交代がメインであったが、なかなか得点を奪えず、しまいには2009年5月1日のFCオス戦で足首を負傷してしまい、再び現役引退を決めた。だが、2009-10シーズンには地元アマチュアクラブのSVエペで数試合のみプレーしていた。 代表1993年2月のワールドカップ予選、トルコ戦で代表デビューを果たし、ゴールも決めた[9]。1994 FIFAワールドカップに出場、ラウンド16のアイルランド戦、準々決勝のブラジル戦でそれぞれ1アシストを決めるなど[9]、最優秀若手選手賞を受賞する活躍を見せた。UEFA EURO '96予選のマルタ戦では初のハットトリックを決めたが[9]、しかし膝の大怪我のため本大会には招集されなかった。2年後1998 FIFAワールドカップに出場、グループリーグの韓国戦でゴールを決め[9]、準決勝まで進むも、ブラジルに敗れた。EURO2000、EURO2004では準決勝まで進むが、2004年大会ではポルトガルに破れ、決勝進出は出来なかった。大会終了後に現役引退を表明した[10]。2006年にはデニス・ベルカンプ、2008年にはヤープ・スタムの引退試合に左サイドで出場した[11]。 指導者現役引退から1年後の2005年、ゴー・アヘッド・イーグルスのフロント入りを果たした。2011年にはアヤックスのチェアマンに指名されたが、オーフェルマルスはこれを断っている。2012年12月30日、ゴー・アヘッド・イーグルスでの経営業から退くことを発表した。 現役引退後の2012年7月、古巣アヤックスのスポーツディレクターに就任した。アヤックスではダビンソン・サンチェスやクリスティアン・エリクセンらを高額で売却し、クラブに多大な利益を持ち込み、さらにはマタイス・デ・リフトとフレンキー・デ・ヨングの若手選手を発掘したが、2022年、同僚の女性に対する問題行為が発覚し、退任した[12]。 エピソード
個人成績
代表歴出場大会
試合数
タイトルクラブ
個人
脚注
関連項目外部リンク
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