ユーリー・グリゴローヴィチユーリー・ニコラエヴィチ・グリゴローヴィチ (露: Ю́рий Никола́евич Григоро́вич,Yury Nikolayevich Grigorovich,1927年1月2日 - ) は、ロシアのバレエ振付家。現ボリショイ・バレエ団バレエマスター。 経歴レニングラードで生まれる。父親は事務職員、母親は主婦、母方の伯父は旧帝室バレエ学校を出てバレエ・リュスに参加したバレエダンサーだった[1]。1946年にレニングラード・バレエ学校 (現ワガノワ・バレエ学校)を卒業し、キーロフ・バレエ団(現マリインスキー・バレエ)に入団。 F・ロプホフの教えを受けて早くから振付を始め、1957年に『石の花』の新振付で大成功を収める。これによって『石の花』はそれまでのラヴロスキー版に代わってグリゴローヴィチ版が標準的な演出となった。1961年までソリストとして在籍したのち、1962年から1964年までキーロフのバレエマスターを務めた。 同年ボリショイ・バレエ団にバレエマスターとして移籍し、以後30年にわたってボリショイの筆頭格としてバレエ団を牽引した。1988年芸術監督に就任。1995年にE・マクシーモワ、V・ワシリエフ夫妻やM・プリセツカヤと対立して退任した。その後モスクワ国際バレエコンクール審査委員長などの要職にあったが、2008年3月に81歳で再びボリショイのバレエマスターに復帰した[2]。 グリゴローヴィチは従来のバレエ作品に多かったマイムを極限まで減らし、舞踊のみの見せ場を多く作った。ソリストの演技的舞踊による可能性を追求し、群舞が曲想に厚みを持たせるスケールの大きなバレエ作品を作り上げた。新演出ではミハイル・フォーキン、マリウス・プティパ、レフ・イワノフらの作品を復活発展し、『石の花』や『愛の伝説』『スパルタクス』らオリジナル作品はすべて多幕もので、女性の支え手としての男性ダンサーを解放し、男性主体の作品を作り上げた。 妻はボリショイの名バレリーナだったナタリア・ベスメルトノワ(1941年 - 2008年)。 代表作
脚注
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