レイ・チルドレス
レイ・チルドレス(Ray Childress 1962年10月20日- )はテネシー州メンフィス出身のアメリカンフットボール選手。NFLのヒューストン・オイラーズなどで1985年から1996年までプレーした。ポジションはディフェンシブエンド、ディフェンシブタックル。プロボウルに5回選出されている[1]。 経歴テキサス農工大学3年次の1983年に15サック、117タックルをあげてオールアメリカンのファーストチームに選ばれた。1984年にも10サック、124タックルをあげてオールアメリカンに選ばれている。大学であげた25サックはラインバッカーを除く当時の学校記録であった。また360タックルは当時大学歴代4位の記録であった。2010年にカレッジフットボール殿堂入りを果たした[2]。 1985年のNFLドラフト全体3位でヒューストン・オイラーズに指名されて入団した[3]。 1988年10月30日のワシントン・レッドスキンズ戦ではNFL記録タイの3ファンブルリカバーを記録した[4][5]。この年にはリーグ歴代3位タイの7ファンブルリカバーを記録した[1]。 1990年にオイラーズのディフェンスコーディネーター、ジム・エディが3-4ディフェンスから4-3ディフェンスに切り替えた際、ディフェンシブエンドとしてプロボウルに選ばれたこともあり、ノーズガードとしても起用されていた彼は、ディフェンシブタックルにコンバートされ、その後4回ディフェンシブタックルとしてプロボウルに選ばれた。1990年から1993年までの間、オイラーズは強力なランディフェンスを誇った。 彼はランディフェンスだけでなくパスディフェンスでも力を発揮、オイラーズの歴代2位のサック、歴代6位のタックルをあげている。サック、タックルでオイラーズの歴代10傑に入っているディフェンシブラインマンは他にエルビン・ベセアのみである。 1986年から1989年までチームトップのQBサックをあげ、1992年にはディフェンシブタックルとしてのシーズン記録である13サックをあげた。また11年間のキャリアで13試合で2サック以上をあげた。 サラリーキャップ制が導入された影響でキャリアの最後のシーズンとなった1996年だけダラス・カウボーイズで控え選手としてプレーした。 1985年から1994年までの10シーズンで欠場したのはストライキのあった1987年を除くとわずか3試合であり、154試合に出場した。 現役引退後、1999年にテキサス州のカーディーラー企業ローレンス・マーシャルを買収したがアメリカの景気の後退もあり2009年会社は営業を停止した[6]。 2008年にテキサス州スポーツの殿堂入りを果たしている[2]。 脚注
外部リンク
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