ローラン・イレールローラン・イレール(Laurent Hilaire、1962年11月8日 - )[1][2]は、フランスのバレエダンサー、バレエ指導者である。パリ・オペラ座バレエ団で1985年から2007年までエトワールを務め、クラシック・バレエの諸作品からコンテンポラリーに至る幅広いレパートリーを踊り、同じバレエ団のマニュエル・ルグリと人気を競った[3][4][5]。世界各国でゲスト・ダンサーとしての出演が多く、シルヴィ・ギエム、アレッサンドラ・フェリ、ノエラ・ポントワ、エヴァ・エフドキモワ、森下洋子などと共演している[1][3]。とりわけギエムとのパートナーシップで知られた[1][3][6]。 経歴パリ出身[1]。幼い頃は体操をやっていたが、両親が引っ越した先には体操クラブがなかったため、その代わりにダンスのレッスンを受けることになった[7]。そこで教師に素質を認められ、勧められて1975年にパリ・オペラ座バレエ学校に入学した[7]。入学当時はクラスに女の子が20人いたのに対して、男の子は彼ただ1人のみだったという[7]。 1980年、17歳で同校を卒業すると同時にパリ・オペラ座バレエ団に入団した[1][8]。以後は順調に昇進し、翌年カドリーユ[注釈 1]に昇格したのち、1982年にコリフェ[注釈 2]、1983年にスジェ[注釈 3][9]に昇格した[8]。同年、当時パリ・オペラ座バレエ団芸術監督を務めていたルドルフ・ヌレエフに抜擢されて『コッペリア』(ピエール・ラコット復元振付)で初主演を果たした[8]。 1984年は、『真夏の夜の夢』(ジョン・ノイマイヤー振付)など3作品に主演した[8]。この年には第1回パリ国際バレエコンクールに同僚のイザベル・ゲランをパートナーとして出場し、ともに銀賞を受賞している[8]。1985年は『ジゼル』(メアリー・スキーピング版)、『ロメオとジュリエット』(ヌレエフ版)などに主演し、有望な若手ダンサーに贈られるカルポー賞を受賞した[8]。同年、『白鳥の湖』(ヴラジーミル・ブルメイステル版)で主演し、ヌレエフによってプルミエ・ダンスール[注釈 4][9]を飛び越して11月2日にエトワールに任命された[注釈 5][8]。 イレールは長身で容姿に恵まれ、身体能力も秀でていた[8]。クラシック・バレエの諸作品では優美さを体現し、コンテンポラリー作品では先鋭な身体表現を見せ、常に気迫のある舞台で称賛を受けた[8][10]。演技力にも優れ、ヌレエフ振付の『くるみ割り人形』では不気味なドロッセルマイヤーと美しく凛々しい王子の2役をこなし、ローラン・プティ振付の『ノートルダム・ド・パリ』の悪役フロロを鋭く激しい動きで踊り演じて、フェビュス役のマニュエル・ルグリの柔らかく華やかな表現とは好対照で高い評価を受けた[4][8][11][12]。 ヌレエフは飛び級でのエトワール任命を始めとしてさまざまな作品でイレールを重用し、「ヌレエフ世代」を代表するダンサーとして知られた[5][10]。ヌレエフが最後に振り付け、遺作となった全幕バレエ『ラ・バヤデール』(1992年)では主役のソロル(領主に仕える戦士)を初演した[13]。このときのヒロイン、ニキヤ(神殿の舞姫=バヤデール)はイザベル・ゲラン、ガムザッティ(ニキヤの恋敵で領主の姫)はエリザベット・プラテルが踊り、これはヌレエフが最も望んでいたキャストであった[13]。ヌレエフ作品の他にもモーリス・ベジャールやイリ・キリアン、ウィリアム・フォーサイスなど現代バレエの巨匠とのコラボレーションも多く、1987年には当時パリ・オペラ座のエトワールだったシルヴィ・ギエムとともにフォーサイスの『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』(In the Middle, Somewhat Elevated)を初演している[14][15][16]。 ギエムの相手役としてたびたび共演し、彼女が1988年に突然パリ・オペラ座バレエ団を退団してロイヤル・バレエ団に移籍した後も、世界各地で共演した[1][6][8]。ギエムとは『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』やベジャール振付の『春の祭典』、『エピソード』といった現代バレエ以外にも、『白鳥の湖』などのクラシック・バレエの名作でも共演するなど彼女からの信頼が厚く、イレールもギエムに愛着と尊敬の念を持っていた[6][7][10][12]。アレッサンドラ・フェリ、ノエラ・ポントワ、エヴァ・エフドキモワ、森下洋子などとも世界各地で踊り、サポートの巧みさとパートナーへの行き届いた配慮を見せ、批評家と観客の両方から人気が高いダンサーであった[1][3][6][17]。1998年には、芸術文化勲章シュヴァリエを受章し、2004年にはブノワ賞を受賞した[7][18]。 2007年に定年を迎えてパリ・オペラ座バレエ団の舞台から去り、以後はメートル・ド・バレエとして後進の指導にあたることになった[19][20][21]。これは現役ダンサーだったころに当時のパリ・オペラ座バレエ団芸術監督ブリジット・ルフェーヴル(fr:Brigitte Lefèvre)から『ラ・バヤデール』の再演で踊るダンサーのパ・ド・ドゥの指導を依頼されたのがきっかけであった[19]。イレール自身も現役時代のインタビューで、「人に何かを与えるということは、とても豊かなことだと思うのです」と語っていた[7]。 イレールが踊る映像は、若いころから現役最後期のものまで多く残っている[10][22]。2000年に撮影されたニルス・タヴェルニエ監督の映画『エトワール』など、映画にも出演した[22][23][24]。イレールの娘は2人ともパリ・オペラ座バレエ学校に入学し、バレエダンサーへの道を歩んでいる[7][25]。長女のジュリエット・イレールは、2008年にパリ・オペラ座バレエ団に入団した[25][26][27][28]。 2014年5月29日、フランスの日刊紙「フィガロ」はイレールのパリ・オペラ座メートル・ド・バレエ及び芸術監督補佐退任を報じた[29]。後任にはメートル・ド・バレエのクロチルド・ヴァイエ(元パリ・オペラ座プルミエール・ダンスーズ)が就任した[29]。なお、ヴァイエの後任メートル・ド・バレエには、2015年5月引退予定のエトワール、オーレリー・デュポンが引退後に就任することが決まっている[29]。 2017年1月1日付で、イーゴリ・ゼレンスキーがバイエルン国立バレエの芸術監督に専念することになったため、後任として国立モスクワ音楽劇場バレエ団の芸術監督に就任した[30]。契約期間は5年[30]。 2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を受けて、同月27日に国立モスクワ音楽劇場バレエ団の芸術監督を辞任し、28日にも出国する意向を明らかにした[31]。 脚注注釈
出典
参考文献
外部リンク
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