三浦孝太 (格闘家)
三浦 孝太(みうら こうた、2002年〈平成14年〉5月28日 - )は、日本の男性総合格闘家。兵庫県神戸市出身。早稲田実業学校中等部、明星学園高等学校卒業[1]。BRAVE所属。 父親はプロサッカー選手の三浦知良、母親はファッションモデル/女優の三浦りさ子(旧姓:設楽りさ子)、兄は俳優の三浦獠太。自身は次男である[2]。 大叔父はセレクトショップビームス(BEAMS)の代表取締役社長である設楽洋[3][4][5]。母方の祖父は三菱商事の常務取締役を務めた設楽卓也[6][7][8]。また俳優でDISH//の北村匠海は遠縁の親戚関係にあたる[9][10][11]。 経歴生い立ち父親である三浦知良がヴィッセル神戸に在籍していた2002年に神戸市内にて生まれる。しかしその3年後に三浦知良が横浜FCに移籍し、家族全員で東京に引っ越しし、三浦孝太自身も小学校から高校までずっと東京の学校に通っていたため、生まれは神戸だが育ちはほとんど東京だと本人は語っている。 格闘技との出会い幼少時代から父親の影響もあってサッカーに打ち込んでいたが、ボクシングが好きだった父親の影響もあって小学校の頃から格闘技に興味を持ちだし[12]、中学生になるとボクシングジムに約週1のペースで通い始めるようになる[13][14]。その頃はまだプロ格闘家になりたいというわけではなく「強くなれればいいな」的な趣味感覚でボクシングジムに通っていたと語っている。 高校に上がるとサッカー部の練習が終わった後にKRAZY BEEなどの総合格闘技のジムへ通いだすようになり、いくつかのジムを転々とした後、最終的には宮田和幸が主宰する総合格闘技ジム、BRAVEに正式に入門する[15]。高校2年の時に椎間板ヘルニアにかかり、数か月病院に入院してリハビリ生活を送った後、復帰した際にサッカーを辞め、総合格闘技1本に本格的に転向した[15]。その頃には自分の中で「格闘家として生きて行きたい」と気持ちが固まっていたため、あえて大学には進学せずに、高校卒業後はすぐにBRAVEで寮生活を始め、宮田の元で住み込みの弟子となった[12]。 RIZIN2021年12月31日、RIZIN.33でプロデビュー及びにRIZINデビュー。地下格闘技団体・宴-UTAGE- の2014年度の軽量級チャンピオンのYUSHIと3分3Rの特別ルールで対戦し、1RサッカーボールキックでTKO勝ち[16]。[試合映像 1][補足映像 1] 2022年5月5日のRIZIN LANDMARK vol.3、同年7月31日のRIZIN.37でフェリペ“キングハンター”マソーニと戦う予定だったが、RIZIN LANDMARK vol.3は三浦の首の怪我、RIZIN.37は三浦の新型コロナウイルス感染により中止となった[17]。 2022年8月19日、契約元のRIZINが許可したことで、タイのラジャダムナンスタジアムのRWSで元K-1 WORLD MAX世界王者のブアカーオ・ポー.プラムックと初めてのキックボクシングルールでエキシビションマッチを行い、3Rの終了間際にラッシュを浴びてレフェリーストップ[18]。エキシビションなので勝敗は付かず。なお、ブアカーオは10月のRWSでの佐藤嘉洋戦でもエキシビションにもかかわらず、ブアカーオだけが突然本気を出して佐藤をKOしたが、その際には佐藤陣営がRWS主催者に強く抗議。その結果、RWSの契約では本気で戦うことやKOすることが契約違反だったことが分かり、RWSが佐藤に謝罪すると共に補償金を払う騒ぎとなった[19]。しかし、佐藤戦の数ヶ月前に同じ形式で行われて同じ結果となったこの試合についてはRWSの声明は無く、有耶無耶なままとなっている。 2022年9月25日、超RIZINでブンチュアイ・ポーンスーンヌーンと3分3Rの特別ルールで対戦し、1R腕ひしぎ十字固めで1本勝ち[20][21]。[試合映像 2][補足映像 2] 2023年5月6日、RIZIN.42でYA-MANと対戦し、序盤はYA-MANを何度もテイクダウンしてギロチンチョークを仕掛けるなどしたが、膝蹴りを受けてパウンドでレフェリーストップによる1RTKO負けを喫した。[試合映像 3][試合映像 4] 2023年12月31日、RIZIN.45で元HEATライト級王者の皇治と対戦し、サッカーボールキックで2RKO負け。試合後インタビューでは、前半の打撃の展開で右手を骨折し、狙いであった組みの展開にいけなくなったことを明かした[22]。[試合映像 5][補足映像 3] 人物・エピソード
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脚注
試合映像
補足映像
映像
関連項目外部リンク
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