中島彰吾 (野球)
中島 彰吾(なかしま しょうご、1992年6月15日 - )は、福岡県小郡市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入り前小学生時代に、実兄と共に味坂クラブで野球をスタート。小郡市立宝城中学校で軟式野球部へ所属すると、1年時から三塁手兼投手、1年秋からエースとして活躍した。 大牟田高校への進学後は、右翼手としての起用を経て、2年秋からエースの座を確保。しかし、在学中は春夏ともに、全国大会への出場経験がなかった。 福岡大学への進学後は、主に救援投手として、九州六大学野球のリーグ戦で登板。2年時と3年時には明治神宮野球大会での救援登板も果たしたが、リーグ戦では通算18試合の登板で1勝2敗にとどまった。梅野隆太郎・信楽晃史は、いずれも1年先輩に当たる。 2014年の育成選手ドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズから1巡目で指名。支度金300万円、年俸300万円(金額は推定)という条件で、育成選手として入団した。背番号は111。 ヤクルト時代2015年には、イースタン・リーグ公式戦12試合に登板。通算13イニング、防御率1.38、奪三振15の成績を残した。その一方で、二軍の内・外野手に故障者が続出したことから、7月8日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では「8番・左翼手」としてスタメンに起用。公式戦ではプロ入り初めての打席に立ったほか、4打数無安打という打撃成績ながら、最後まで左翼手として出場した[1][2]。 2016年5月2日、10試合連続無失点、防御率2.40の成績が評価されて、支配下選手契約へ移行するとともに、背番号を71へ変更した[3]。5月4日に一軍昇格したが、登板機会がないまま5月13日に登録抹消。7月9日の中日ドラゴンズ14回戦で8回からの救援登板で一軍初登板を果たし、1回1/3を無失点に抑えた。 2017年は一軍公式戦は2試合しか登板機会はなく、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[4]。 海外リーグ時代台湾のウィンタートライアウトに「アジアンアイランダース」の一員として参加した[5]。ここでの活躍がオランダの野球リーグ・ホーフトクラッセ関係者の目に留まり、2018年2月22日、デ・フラスコニング・ツインズへの入団が決定した[6][7]。4月27日の開幕戦に先発登板し、4回を無失点に抑えた[8]。その後8月にはオーストラリアのシドニー・ブルーソックスに移籍した[9]。 2019年に新規契約先を探すためのトラベルチーム「アジアン・ブリーズ」に参加[10]。しかし、希望していたリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルやメジャーリーグ球団からのオファーはなく、他国の球団やアマチュア球団からのオファーはあったものの、肩の状態などから自分の限界を感じて現役引退を決断した[11]。 現役引退後帰国後の2019年8月、父親の勧めで福岡県久留米市の印刷会社・丸信に入社し、営業マンとなった[12]。 選手としての特徴制球で崩れることがない。スライダーが一番自信がある球種[13]。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
|