中村吉治中村 吉治(なかむら きちじ、1905年2月4日[1][2] - 1986年12月10日[3])は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。社会史・農民史および村落共同体に関する著書多数。 経歴長野県上伊那郡朝日村平出(現在の辰野町)に生まれる[1]。朝日尋常高等小学校、長野県諏訪中学校を経て、旧制第三高等学校に進学[4]し、中村直勝の講義を聞き、歴史学に興味を持つ[5]。1925年3月に同校文科丙類を卒業[6]。京都帝国大学入学[7]後、1926年、東京帝国大学文学部国史学科に再入学[8]し、卒業論文「近世初期の農政」をまとめ[9]、1929年3月に同大学文学部卒業[3][10]。 1929年、東京大学史料編纂所に入所[2]し、1933年3月まで勤めた[11]のち、東北帝国大学法文学部助教授[12]。1941年に同教授となり[2]、1968年定年退官[3]。東北大学名誉教授。同年、國學院大學経済学部教授、1981年退任[3]。 1951年に「近世初期に於ける勧農について」により、東北大学から経済学博士の学位を授与される[13]。 人物皇国史観一色に染まった戦前・戦中の歴史学界にあって、小野武夫や古島敏雄などと雑誌「歴史学研究」「社会経済史学」などで、土一揆の研究や農民史の研究を発表し続けた。 同郷の先輩に社会学で有名な有賀喜左衛門がいたことや、柳田國男と親交があった関係[5]で、民俗学や社会調査を取り入れた社会史研究はユニークである。 逸話豚に歴史はありますか 中村が東京帝国大学時代、卒業論文の指導を受けに平泉澄助教授を訪ねた。その時のことを、後年、中村自身が「私は百姓の歴史をやるといったら、えらく怒られもしないけれど、蔑視されちゃった。百姓に歴史はありますかというわけだ。何ですかと詳しく聞こうとしたら、豚に歴史はありますかとたたみかけられて、それで次ということになった」[14]と語った。この逸話は、後に『歴史手帖』[15]などでも繰返し述べられ、広く知られるようになった。 著書資料
参考文献
脚注
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