代明親王
代明親王(よしあきらしんのう)は、平安時代前期から中期にかけての皇族。初名は将観(まさみ)。醍醐天皇の第三皇子。官位は四品または三品・中務卿。 経歴延喜11年(911年)将観から代明に改名し、延喜19年(919年)元服した。醍醐朝末から朱雀朝前期にかけて、弾正尹・中務卿を務めた。 右大臣・藤原定方の娘と結婚して多くの子に恵まれたが、承平6年(936年)妻に先立たれる[3]。妻の死後しばらく子供達とともに定方邸に住み、忌明けして妻の妹・九の君へ求婚。しかし、九の君が年若い藤原師尹と文を交わしている事を聞き、落胆して子供達を定方邸に置いたまま自邸に戻ったという(『大和物語』)[4]。妻の後を追うように翌承平7年(937年)3月29日に薨去。享年34。最終官位は中務卿四品。 代明親王の邸宅は桃園親王と呼ばれた貞純親王の邸宅で、後に源保光(桃園中納言)、藤原師氏(桃園大納言)、藤原近信、藤原伊尹家へ渡る。その後、藤原行成(親王の曾孫にあたる)の邸宅となり、行成はその邸内に寺を建立した。これが世尊寺である。 官歴
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