佐々木みき
佐々木 みき(ささき みき、1976年12月15日 - )は、元女子バレーボール選手。元・北海道大谷室蘭高等学校女子バレーボール部監督。株式会社エール所属。 来歴北海道室蘭市出身。中学校1年生よりバレーボールを始め、1990年さわやか杯で全国強化選手、翌年の同大会でオリンピック有望選手に選ばれる。登別大谷高校では春高バレー、インターハイに出場し、1993年世界ユース選手権準優勝、1994年アジアジュニア選手権準優勝を経験した。 1995年、ダイエーオレンジアタッカーズ入団。1997年第4回Vリーグの優勝に貢献、その後オレンジアタッカーズを経て1999年、東洋紡オーキスに移籍。2000年第7回Vリーグ優勝・ベスト6に輝いた。 2001年、パイオニアレッドウイングスに移籍し、2003年第10回Vリーグでの初優勝に貢献し、最高殊勲選手賞・最多得点・ベスト6に輝き同年全日本代表に復帰。2004年アテネオリンピック出場も果たした。 2007年4月、Vリーグ出場試合が内田役子、多治見麻子と共に女子選手歴代4位の232試合(当時)となり、リーグ40回大会を記念し創設された、『Vリーグ特別表彰制度』で長期活躍選手として特別表彰された。 2011年6月にパイオニアを退部。9月6日に、トルコ2部リーグのチェルケツコイへ移籍するとマネジメント会社が発表したが、翌10月に契約解除を受けたと発表された[1]。トルコへは単身で渡ったが、手違いからアパートを借りて貰えずホテル暮らしが続き、給料も出ないという状況で毎日泣いていたという。このままでは病気になると思っていた際に、外国人が一度に解雇され、結局2ヵ月半で退団。ドバイ経由で帰国した[2]。 その後現役を引退。バレーボール教室などを展開してきたが、2013年10月に故郷である室蘭市の北海道大谷室蘭高校(旧・室蘭大谷高校=母校の登別大谷高校と統合して現校名に)女子バレーボール部のコーチに就任した。コーチ就任当時のインタビューにて、北海道ベスト16まで行ったため、次はベスト8を目標と語った[3]。また、声がかかればコーチ業をまっとうしつつ、現役復帰の意思もあるとも語っていた[4]。2017年度からは監督に昇格し、同年度の第70回全日本バレーボール高等学校選手権大会に出場。3回戦まで進んだ[5]。 プレースタイル高さとパワーあるスパイクが武器のウイングスパイカー。特にバックアタックの破壊力は日本で一二を争う威力である。強烈なスパイクをもちながらも、体調が崩れない限り安定したパフォーマンスを発揮し、サーブレシーブもこなせる面を持ち合わせ、日本チームの得点源として活躍した[6]。 人物・エピソード
所属チーム
球歴受賞歴
脚注
外部リンク
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