八田元夫八田 元夫(はった もとお、1903年11月13日 - 1976年9月17日)は、日本の演出家。父は元旧制新潟高等学校初代校長の八田三喜。弟は教育者の八田亭二。 略歴東京出身。東京大学文学部美学科卒業。 戦前は丸山定夫らに同行し、桜隊の覆面演出家をしていた。昭和20年8月6日の広島原爆の報を受け、槙村浩吉と共に広島に駐屯していた桜隊を探しに広島に出かけた。 しかし、広島市は焼野原で桜隊の寮も跡形もなかった。しかし、そこで珊瑚隊が立てた立札を頼りに厳島の存光寺を訪ねる。そこで珊瑚隊と再会し、行方不明の丸山から「鯛尾島にいる」とのメモが届いたことを知り、槙村とともに鯛尾に赴く。しかし、丸山は小屋浦国民小学校に移送された後だった。翌日、呉線の小屋浦に行き、国民小学校で満身創痍の丸山と再会。丸山の強い希望で、厳島の寺に戻る。しかし、丸山は原爆症で8月16日に死去。同じく行方不明だった園井恵子と高山象三が、園井の後援者宅に身を寄せていることを知り、即座に神戸に向かう。しかし、2人とも原爆症で相次いで亡くなり、八田はその死を見届けた。後年、「ガンマ線の臨終」という桜隊全滅までの回顧録を出版した。 著書
関連文献
|