北カフカーズ軍管区
北カフカーズ軍管区(きたカフカーズぐんかんく、ロシア語: Северо-кавказский военный округ、略称СКВО)は、かつて存在したソ連軍、ロシア連邦軍のカフカース山脈北部地域(北カフカース)における軍管区、統合部隊。軍管区本部は、ロストフ・ナ・ドヌに位置する。 軍管区および保管基地には、戦車600両、戦闘装甲車両1940両、火砲755門、戦闘ヘリ70機その他の兵器が装備されている。 歴史戦前北カフカーズ軍管区は1918年5月4日、人民委員会議令によりスタヴロポリ県、黒海県、ダゲスタン県、ドン・コサック軍、クバン・コサック軍、テレク・コサック軍領域に設立された。同年10月3日、南部戦線革命会議令により、北カフカースの赤軍は第11軍に改称された。 ロシア内戦時代、南部戦線にセミョーン・ブジョーンヌイ指揮下の第1騎兵軍が創設された。内戦後の1921年5月4日、カフカース戦線が廃止され、北カフカーズ軍管区が復活した。北カフカーズ軍管区本部はロストフ・ナ・ドヌに位置し、司令官にはクリメント・ヴォロシーロフが任命された。 1924年から1928年にかけて、北カフカーズ軍管区に軍事教育施設ネットワークが創設された。 第二次世界大戦独ソ戦時、1941年5月-6月に北カフカーズ軍管区で編成された第19軍(軍司令官:イワン・コーネフ)が活躍した。同年6月末-7月初め、第50クバン師団(師団長:イッサ・プリーエフ大佐)と第53スタヴロポリ騎兵師団(師団長:K.メリニク准将)が編成された。7月後半、これらの部隊は西部戦線の編成下に入った。1941年11月のロストフ郊外での赤軍の反攻は、重要な政治・軍事的意義を有し、ドイツ軍が初めて敗北を喫した。同年11月29日、ロストフが解放された。 独ソ戦中、北カフカーズ軍管区は兵員養成の場として機能し、ノヴォチェルカッスクの高等騎兵課程、ロストフ、クラスノダール、オルジョニキゼ、グロズヌイ、マハチカラ、マイコープ、ブイナクスクの歩兵学校、アルマヴィル指揮要員完全化課程、ロストフの砲兵および軍事政治学校、クラスノダール高射砲兵学校、エイスクおよびクラスノダール軍事航空学校、クラスノダール、バタイスク、アルマヴィル、グロズヌイ、タガンログおよびナヒチェヴァン・ナ・ドヌの軍事航空学校は、現役将校を訓練した。 1942年後半から1943年前半、独ソ戦の主要舞台は北カフカーズ軍管区領域となり、スターリングラード攻防戦(1942年7月17日-1943年2月2日)とカフカースの戦い(1942年7月25日-1943年10月9日)が展開された。特に約200日間続いたスターリングラードの戦いは、第二次世界大戦の転回点ともなった。カフカーズの戦いでは、ドン川下流とクバン間のドイツ軍撃滅のために、A軍集団 (группа армий «А») が編成された。 1943年11月20日、北カフカーズ戦線と第56軍が解散され、それに基づき独立沿海軍 (Отдельная Приморская армия) が編成された。 戦後1945年7月9日、北カフカース領域は平時編成に移り、ドン、スタヴロポリおよびクバンの3軍管区が創設された。ドン軍管区はロストフ、スターリングラードおよびアストラハン州に、スタヴロポリ軍管区はスタヴロポリ地方、グロズネンスク州、カバルダ・バルカル共和国および北オセチア共和国領域に、クバン軍管区はクラスノダール地方領域に位置した。1946年、ドン軍管区は、再び北カフカーズ軍管区に改称された。 1946年、軍管区領域にカプスチン・ヤール・ロケット演習場が建設され、1947年10月18日、最初の弾道弾発射実験が行われた。 1968年5月4日、ソ連軍創設50周年と関連して北カフカーズ軍管区に赤旗勲章が授与された。 編制北カフカーズ軍管区は1個軍と軍管区直轄部隊から成り、空軍の1個航空軍、鉄道軍の1個鉄道軍団が配属されている。また、グルジア、アルメニアに駐屯する在ザカフカース・ロシア軍集団も管轄している。 第58諸兵科連合軍→「第58親衛諸兵科連合軍 (ロシア陸軍)」を参照
ウラジカフカスに軍本部を置く。
在ザカフカース・ロシア軍集団
軍管区直轄部隊
ロシア空軍
ロシア鉄道軍
準軍隊戦時には、軍管区内に駐屯する他省庁の軍事組織も作戦統制下に置く。 歴代司令官
脚注
関連項目 |