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北センチネル島

北センチネル島
North Sentinel Island
航空写真(NASA、2004年撮影)
所在地 インドの旗 インド アンダマン・ニコバル諸島南アンダマン県英語版(名目上)
所在海域 ベンガル湾
所属諸島 アンダマン諸島
座標 北緯11度33分25.2秒 東経92度14分27.6秒 / 北緯11.557000度 東経92.241000度 / 11.557000; 92.241000座標: 北緯11度33分25.2秒 東経92度14分27.6秒 / 北緯11.557000度 東経92.241000度 / 11.557000; 92.241000
面積 59.67[1] km²
海岸線長 31.6 km
最高標高 122[2] m
人口 正確な統計はなし
39人(2001年国勢調査[3]
アンダマン諸島と北センチネル島の位置(赤)
プロジェクト 地形
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北センチネル島の地図

北センチネル島(きたセンチネルとう、North Sentinel Island)は、インド洋東部ベンガル湾内に所在する未開の島。インドアンダマン諸島に所在し、南アンダマン島の西約30kmに位置する。この島の先住民であるセンチネル族は外部との接触を強く拒否しており、行政当局も何度も追い返されている。行政当局は感染症の流行による民族絶滅の可能性もあるため干渉しない方針であり(いわゆる非接触部族)、インドの法律で島への接近は禁止されている。

概要

島にはセンチネル族が50人から400人程度[4][5]居住していると見積もられている。彼らは狩猟や沿岸での釣りで食料を確保しつつ、石器時代的な生活を営んでいる[5]とされるが、非常に排他的であり、外部との接触に対して極めて否定的な態度を取っていることもあり、未だ詳しいことはよく分かっていない。アンダマン島一帯にはセンチネル族を含めて多くの先住民族がいたとされ、センチネル族の先祖も太古の昔、外部の人間を含めた他の先住民との交流が多少はあった可能性もあると言われているが、いつからかそれら民族との接触を断って以降は現代まで外部との接触を拒んできたと言われており、現代では少数となったそれら先住民族の血を引く末裔の中にもセンチネル語を理解できる者はいないとされる。21世紀になっても尚、外部との接触を一切拒否しており[5]、ごく近年でも漂着をしたり、上陸を試みたりした外部の人間がセンチネル族に殺害される事件が発生している[5]。1880年には当時、この地域一帯を支配していた大英帝国の海軍将校が数人のセンチネル族を島外へ連れ去る事件も起きているが、記録に残る限り、インド国立人類学研究所英語版 (AnSI) による1991年の1月と2月の接触時の2度のみ、短時間だけだが友好的な接触を行えたという。船が近づくと彼らは攻撃しようとしたが、ココナッツを海に流すと彼らは攻撃を止めそれを受け取り船を迎え入れたという。またこの時、研究班は攻撃を警戒し、船にライフルを積んでいたが、彼らは金属片と間違えてそれを奪おうとしたこと、他の者が接触を試みた際に攻撃に使用した矢の中に金属製の鏃があったことなどから、石器時代的な生活を営みながらも金属について知っており、最低限の金属の加工技術も持ち合わせているものと考えられる。恐らくは漂着した難破船等から金属を取り出し、加工して矢を作っていたものと考えられるが詳細は不明。

1947年以降、インドの連邦直轄領アンダマン・ニコバル諸島に属していることになっており[6]、行政上は南アンダマン県英語版ポートブレア郡(テシル)に含まれる[7]。しかし、インド政府は島民とはいかなる条約も結んだことがなく、事実上島民の主権が認められている状態である。2019年現在、アンダマン・ニコバル諸島自治政府も、センチネル族は現代文明を必要とせず干渉も求めていないとして、深刻な自然災害や病気の発生がない限りは干渉しない方針である[5][8]。インド政府は外国人の上陸も認めておらず、島に近付かないよう警告している[9][10]。2018年の事件に関する報道によれば、インドの少数民族保護法によって[11]、北センチネル島から半径5キロメートル以内への立ち入りは違法である[12][11]

不介入・上陸禁止の方針は、多くの病気に対する免疫を持たないと考えられるセンチネル族を危険から遠ざけるためでもある[5]。アンダマン・ニコバル諸島自治政府は、センチネル族が現状を維持できるよう、遠方から島の監視・警備を行っている[5][11]。センチネル族についての最初の記録が残っているのは18世紀以降だが、7世紀頃には既に中国やミャンマー等アジア人の船乗りたちによってアンダマン諸島一帯の島々とそれらに住む他の先住民族と共にその存在自体は知られていたと言われている。長く外部との接触を拒んできたことから彼らの言葉を理解できる者も島外にはおらず、それも相まって満足にコミュニケーションも取れないことからDNA採取等もできないため、詳しい生活実態はおろかその起源すらも不明である。

また本島が属するアンダマン諸島一帯は太平洋戦争中の1942年から1945年まで日本軍が占領しており、本島の近くを度々航行した艦船もあったようだが、その際、当時の日本軍がセンチネル族と接触したという記録は残っていない。北センチネル島の東約50kmには日本軍の拠点のあったポートブレアが所在し、そこには戦争末期に連合国軍の激しい空襲や艦砲射撃が連日行われたがそれが対岸のセンチネル族にどのような影響を与えたかも不明である。

地理

島の面積は約59km2[11][注釈 1]

2004年のスマトラ島沖地震発生まで、島の形状は約72km2のほぼ正方形であり、サンゴ礁に覆われていた[13]。海岸周囲の等高線が狭く、狭い砂浜のすぐ先で標高 20mほどになる。その後も徐々に標高が高くなり、最高地点は標高 122mである。地震発生によりプレートが傾いた影響で1 - 2mほど隆起し、周囲のサンゴ礁が露出した。島の大部分は森林で覆われているが、海岸沿いの一部で人工的に木を伐採した痕や打ち捨てられた集落の跡が見られる。

歴史

さまざまな研究から、センチネル族は数万年前(最も古い見積もりでは6万年以上前[11])にアフリカから移住してきたと考えられている[14]。センチネル族の話すセンチネル語は、アンダマン諸島に住む他の部族の言語(アンダマン諸語)と大きく異なるとされ、数千年のあいだ他の島と交流せずに暮らしてきたとも考えられている[4]

18世紀〜20世紀

18世紀にイギリス人がこの島を訪れた[11]

1880年に、当時の統治国であるイギリスが初めて島を探検、住人6名を捕えポートブレアに連行しているが、2名が病死したため、残りは島に戻された[4]。このことがセンチネル族の外部への攻撃性を高めたという指摘もある[11]

インド独立後

20世紀後半、インド政府はアンダマン諸島の先住民族との接触を進めた[14]、その一環として、この島の住人であるセンチネル族との接触も試みられてきた[15]。しかしその試みの多くは、海岸から矢や槍を放たれて拒絶された[15]

唯一の「友好的な接触」

1991年、インド国立人類学研究所 (AnSI) の人類学者を含むチームが2度にわたり住人と接触した[15]。2018年の記事によれば、これが唯一の「友好的な接触」であったとされる[15]

チームに参加していたAnSIの研究員マドゥマラ・チャトパディヤエ英語版によれば、1991年1月におこなわれた1度目の訪問では、弓を携えた住人たちに出迎えられたものの、チームがボートから彼らに向けて流したココナッツを回収した。弓矢を構えた若い男性の住人もいたが、ココナッツを受け取りに来るよう(アンダマン諸島の他の民族の言語で)呼びかけたところ、隣にいた女性に促されて矢を降ろし、ココナッツを拾った。何人かの男性はボートを触りに来た。その行動は、私たちを恐れていないことを示していると思われる。またチームは砂浜に上陸した。ただし住人たちが村にチームを案内することはなかった[15]

1か月後、より多くの人数のチームで島を訪問したところ、住人たちは武器を携えずに出迎えた。チームが浮かべたココナッツが受け取られ、住人たちはやがて船に上がり込んでココナッツを袋ごと持って行った。一方で彼らの装身具(葉でできたもの)を手に取ることは拒絶された[15]。その数か月後、3度目の訪問が実施されたが、悪天候のために砂浜に住人は出ておらず、接触は失敗した[15]

不干渉への方針転換

1991年の接触の後、当局の方針は転換した[15]。島民は、多くの病気に対する免疫を持っていないと考えられる[15]。同じアンダマン諸島に住む未接触部族であったジャラワ族は、外部との接触が増えた結果として伝染病の流行に苦しみ、社会が崩壊した[14]。こうしたことを踏まえてセンチネル族に対しても積極的に接触を試みないことになり、政府の交流プログラムは1996年に中止された[16][4][17]

2004年のスマトラ島沖地震に際しては、安否確認のために訪れたヘリコプターに対してを放つ姿が確認された[11]

2006年には、カニの密漁をしていたインド人2人が、寝ている間にボートが流され、北センチネル島に漂着した結果、矢を射られ殺害された。インド政府は2人の遺体を回収しようとヘリコプターを派遣したが、住民から矢と投げ槍で攻撃されたため、遺体は回収することができなかった[18][14]殺人事件であるが、島が「現代社会の一部ではない」として、警察の捜査もされず放置されている[9]

2018年の宣教師殺害事件

2018年11月16日には、漁船を雇って島にカヌーで単身接近し、住民をキリスト教改宗させるために上陸しようとした自称冒険家[14]宣教師ジョン・アレン・チャウ[19][20][18][14]アメリカ合衆国ワシントン州在住で中国系アメリカ人の26歳男性)が住民に弓矢を射掛けられ、傷を負った所を首に縄をかけられて死亡した[12][11]

この人物は観光査証でインドに入国し、アンダマン・ニコバル諸島への入域許可も得ていたというが[12]、この島への接近・上陸は違法行為である[12]。漁船を雇って11月14日夜に島に接近、15日以降繰り返し接触を試みたが2度失敗、3度目に殺害された[14][11]

男性の遺体は砂浜に埋められている模様だが、回収は困難という[14][18]。インド政府は宣教師に協力した漁師たちとエンジニア1名、計画に携わった別の宣教師1名の合計7名を「過失殺人」の罪で逮捕した[14]

この宣教師は終末思想を奉じる福音派の教団に属しており、地上のすべての国々の民にキリストの教えを伝える、という宗教的信念に基づいての行動とみられる[17]。北センチネル島上陸の試みもこれが初めてではなく、2016年・2017年にも行っていた[17]。宣教師の行動は欧米メディアでも総じて批判的に報じられている[17]

インドの法律に違反した不法侵入であることや[17]、一方的なアプローチが先住民族の権利を侵害するもので(2007年の「先住民族の権利に関する国際連合宣言」には、未接触部族が孤立して暮らす権利を支持している)[17]、「見当違い」な「思想の押し付け」であると[17]批判される。殺害された宣教師には、その年最も「驚くべき愚行」によって死亡した人物を(皮肉交じりに)顕彰するダーウィン賞が授与された[21]

島への接近阻止

現代文明との接触を拒絶する特異な島の存在は、インターネットの発達によって次第に知られるようになり[5]、2018年の宣教師殺害事件はこれを加速させた[11]。温暖なアンダマン・ニコバル諸島では、ポートブレアを中心としてリゾート地化が進んでおり[5]、旅行者(中には日本人も含まれるという[11])がこの「特異な」島に興味を示して接近しようと試みる動きもみられるようになった[11]。近隣の漁民を高額な報酬で雇い、島が遠くに視認できる距離まで接近するという[11]

アンダマン・ニコバル自治州政府は、この島が「観光資源」にならないよう腐心しており[5]、地元警察やインド沿岸警備隊は監視態勢を強化している[11]

脚注

注釈

  1. ^ これは、三宅島(約55km2)よりやや大きい程度[11]

出典

  1. ^ Forest Statistics Department of Environment & Forests ANDAMAN & NICOBAR ISLANDS 2013” (pdf). 2019年10月28日閲覧。
  2. ^ SAILING DIRECTIONS / INDIA AND THE BAY OF BENGAL”. アメリカ国家地球空間情報局. 2019年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月28日閲覧。
  3. ^ ただし実際に上陸して調査が行われたか疑問が残るAndaman & Nicobar Islands Demogrpahic”. 2017年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月29日閲覧。
  4. ^ a b c d Daniel 2014, p. 204.
  5. ^ a b c d e f g h i j “世界最後の秘境「北センチネル島」の謎 インド洋で外界の接触を完全拒否”. 産経新聞. (2018年1月25日). https://www.sankei.com/article/20180125-IVCU3DFZ6FK6NLINRK5SO27ZQI/ 2019年2月21日閲覧。 
  6. ^ George Weber. something missing. “The Andamanese - Chapter 1: Contact” (英語). 2011年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月8日閲覧。
  7. ^ Census of India 2011 ANDAMAN & NICOBAR ISLANDS” (pdf). 2019年10月28日閲覧。
  8. ^ 新型コロナウイルス感染症は世界中を巻き込んだ深刻な病気であるが、島民が感染した場合の医療措置をどうするのかについては2021年現在、何も議論されていない。
  9. ^ a b Bonnett 2015, p. 98.
  10. ^ Subir Bhaumik. “Extinction threat for Andaman natives” (英語). 2005年5月5日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “【当世インド事情】「文明未接触の島」どう守る 旅行者接近を懸念”. 産経新聞. (2019年1月11日). https://www.sankei.com/article/20190111-A6WALY5KK5JSRDYY7JPRO5MDRQ/ 2019年2月21日閲覧。 
  12. ^ a b c d インドの孤立先住民、島に上陸した米国人観光客を弓矢で射殺”. AFP (2018年11月21日). 2018年11月21日閲覧。
  13. ^ George Weber. “The Andamanese - Chapter 8: The Tribes” (英語). pp. part 6. The Sentineli. 2013年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月6日閲覧。
  14. ^ a b c d e f g h i 宣教師を殺害したインド孤立部族、侵入者拒む歴史”. ナショナルジオグラフィック (2018年12月1日). 2020年5月14日閲覧。
  15. ^ a b c d e f g h i 宣教師事件の孤立部族、唯一の「友好的な接触」”. ナショナルジオグラフィック (2018年12月11日). 2020年5月14日閲覧。
  16. ^ Bonnett 2015, p. 96.
  17. ^ a b c d e f g 内村コースケ (2018年12月11日). “「北センチネル島」の宣教師殺害事件で問われる「未接触部族」の権利”. ニューズウィーク日本版. 2020年5月14日閲覧。
  18. ^ a b c “遺体回収は困難 「文明未接触の島」上陸の米国人殺害”. 産経新聞. (2018年11月27日). https://www.sankei.com/article/20181127-23KIHQLS6FI2DHIQCSDU5WHJF4/ 2019年2月21日閲覧。 
  19. ^ Isolated tribespeople believed to have killed US missionary who trespassed on remote island” (英語). CNN (2018年11月21日). 2018年11月21日閲覧。
  20. ^ American killed on Andaman island home to uncontacted people, body yet to be recovered” (英語). インディア・トゥデイ (2018年11月21日). 2018年11月21日閲覧。
  21. ^ 2018 Darwin Award: The Missionary Position”. darwinawards.com. 2020年7月16日閲覧。

参考文献

  • Bonnett, Alastair 著、夏目大 訳『オフ・ザ・マップ 世界から隔絶された場所』イースト・プレス、2015年3月15日(原著2014年7月8日)。ISBN 9784781612928 
  • Daniel, Smith 著、小野智子、片山美佳子 訳『絶対に行けない世界の非公開区域99 ガザの地下トンネルから女王の寝室まで』日経ナショナルジオグラフィック社、2014年12月19日(原著2014年4月1日)。ISBN 9784863133013 

関連項目

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