和木沢村(わぎさわむら)は、かつて福島県安達郡に存在した村である。後に分割合併、白沢村と本宮町に分かれるが、その2町村が2007年1月1日合併、本宮市となる。
地理
福島県のほぼ中央に位置し、南は郡山市、北は二本松市に隣接する。
現在の本宮市の中部、旧本宮町の東部、旧白沢村の西部に位置する。
丘陵地が多く、その地形を利用した農業が盛んである。行政はほとんどが糠沢地区に集中している。西部に阿武隈川が流れる。現在は開発が進み、その丘陵地も団地や競技場、工業団地などになっている。
隣接自治体
本宮町、仁井田村(現本宮市、旧本宮町)白岩村(現本宮市、旧白沢村)石井村、杉田村(現二本松市)日和田町、西田村(現郡山市) - 1889年(明治22年)4月1日現在
歴史
村名は、「和田」の和、「高木」の木、「糠沢」の沢を組み合わせ、和木沢とした。
年表
- 縄文時代 すでに人が住んでいた。(高木・北ノ脇遺跡より)
- 1889年(明治22年)4月1日 市町村制施行。和田村、糠沢村、高木村が合併、安達郡和木沢村となる。
- 1955年(昭和30年)4月30日 - 市町村合併により和木沢村は消滅。
- 和木沢村高木地区が本宮町へ編入される。
- 白岩村、和木沢村和田地区・糠沢地区が合併、白沢村となる。
- 以上の2つは、境界変更合併であり、高木地区と糠沢地区の一部が本宮町と,糠沢地区・和田地区が白岩村と合併したものである。前者は編入合併、後者は新設合併となる。
変遷表
1868年 以前
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明治22年 4月1日
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昭和30年 4月30日
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平成19年 1月1日
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現在
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和田村
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和木沢村
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白沢村
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本宮市
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本宮市
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糠沢村
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本宮町 に編入
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高木村
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大字
人口・世帯
人口
総数 [単位: 人]
世帯
総数 [単位: 世帯]
1920年(大正 9年) | 922 |
1947年(昭和22年) | 1,145 |
行政
明治維新までは、旧各村の地主(和田2、糠沢2、高木1)によって村治が行われていたという。村長という名称で村治を行ったのは和木沢村になってからである。
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日
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初代 |
登榔次郎左衛門 |
明治22年6月26日 |
明治26年6月25日
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2 |
國分半之右衛門 |
明治26年6月26日 |
明治30年6月25日
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3 |
渡辺勘之亟 |
明治30年6月26日 |
明治32年11月27日
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4 |
日向直左衛門 |
明治32年12月6日 |
明治36年8月12日
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5 |
渡辺吉十 |
明治36年10月2日 |
明治37年5月16日
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6 |
古田部健太郎 |
明治37年5月20日 |
明治37年10月30日
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7 |
渡辺勘之亟 |
明治37年11月21日 |
明治41年11月20日
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8 |
國分佐與吉 |
明治41年11月22日 |
明治45年2月23日
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9 |
古田部健太郎 |
大正元年10月30日 |
大正3年4月18日
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10 |
影山治郎八 |
大正3年7月2日 |
大正7年7月1日
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11 |
北山源五郎 |
大正7年7月27日 |
大正11年7月26日
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12 |
市川三郎 |
大正11年7月27日 |
大正15年7月26日
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13 |
日向四郎次 |
大正15年7月27日 |
昭和5年7月26日
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14 |
市川三郎 |
昭和5年7月27日 |
昭和13年11月21日
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15 |
三瓶久徳 |
昭和13年11月22日 |
昭和17年11月21日
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16 |
影山庄之助 |
昭和17年11月22日 |
昭和21年11月21日
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17 |
菅野孫十 |
昭和22年4月5日 |
昭和30年4月29日
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その他に、助役(内名誉助役と有給助役に分かれる)と収入役などが存在した。
村会議員
各旧村にも村会議員は存在していた。和木沢村時代は約290人もの村会議員が活躍していた。(合併後〜分離まで)
行政区
和木沢村には行政末端組織が置かれた。発足前各村にも行政区が存在したが改め、明治22年7月17日の村議会で、今まで「〜番組」と呼ばれていたものを「〜区」と改称することを決定した。この名残なのか、高木地区では現在でも「〜番組」の呼び方がある。「〜番組」の呼び方は、旧本宮町に伝わる太鼓台の区分けにも使用されている。
明治22年7月17日議決の区
区名 |
区域(旧名称)
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小田部区 |
糠沢一番組
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堀ノ内区 |
二番組
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日向区 |
三番組
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高松区 |
四番組
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八幡区 |
五番組
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城ノ内区 |
六番組
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作区 |
七番組
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岩崎区 |
八番組
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大沢区 |
和田一番組
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西明内区 |
二番組
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喜多区 |
三番組
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屋口区 |
四番組
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明石内区 |
五番組
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久保区 |
六番組
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平茂内区 |
七番組
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柳田内区 |
八番組
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作田区 |
九番組
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諏訪区 |
十番組
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戸ノ内区 |
十一番組
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根岸区 |
高木六・七番組
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舟場区 |
五・八番組
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高木区 |
四・九番組
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大屋敷区 |
一・二・三番組
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この区名の中には、この区名が発祥とも言われる苗字がある。
戸数・人口
戸数・人口共に増え続けている。現在は不明だが、和木沢村時代は少なくとも60年ほどの間に4000から5000人増えている。
年 |
戸数(戸) |
人口(人)
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明治20 |
587 |
3655
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明治35 |
580 |
4668
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明治36 |
590 |
4958
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明治37 |
579 |
5008
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明治38 |
571 |
4989
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明治39 |
572 |
5039
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明治40 |
561 |
5039
|
明治41 |
541 |
5143
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明治42 |
546 |
5232
|
明治43 |
547 |
5201
|
明治44 |
545 |
4961
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大正元 |
545 |
5314
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大正2 |
544 |
5114
|
大正3 |
544 |
5129
|
大正4 |
544 |
5019
|
大正5 |
544 |
4978
|
大正9 |
922 |
4986
|
大正14 |
782 |
5037
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昭和5 |
831 |
5513
|
昭和10 |
859 |
5645
|
昭和15 |
855 |
5603
|
昭和25 |
1109 |
7130
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産業
農業
和木沢村は、阿武隈山系の中に位置し、交通の便にも恵まれていないため、立地条件からほとんどの家庭が農業を営む純農村だった。しかし晩年になると、商工業が進出してき始め、村の農家も副業を持つようになって来た。
村の基幹作目は、米と養蚕である。米は、冷害などで大凶作が起こることもしばしばあったが、農家経済を維持してきた。養蚕は古い歴史があり定着したが、数々の経済恐慌が発生している。しかし、人々の努力により、主産地を形成するまでいたった。
補完作目は、畜産、たばこである。畜産は、当時馬産を主にしていたため、あまり目立つものはなかったが、黒毛和種の導入後、飛躍的に増殖が見られた。酪農も発展し、蓄農村として伸展した。
たばこも、明治以来耕作されてきたが、面積に制約があった。しかし昭和28年ごろには、面積、人員共にアップし、農業収入の高割合を占めるようになった。(阿武隈高地地帯はなぜかたばこや養蚕がさかんである。)
公園
高松山ふれあい公園(旧本宮町との境界付近にある高台が高松山。そこの頂上にあるのが記の公園である。)
教育
中学校
小学校
- 和木沢村立和田小学校(学区は同村内和田地区)
- 和木沢村立高木小学校(学区は同村内高木地区)
- 和木沢村立糠沢小学校(学区は同村内糠沢地区)
交通
鉄道
当時鉄道は存在しなかった。現在は村内和田地区と糠沢地区に東北新幹線が通っているが、駅はない。一番近い駅は同市内の本宮駅。
道路
公共交通機関はバスのみ存在。
その他
- 糠沢地区には、旧糠沢村の村名の由来ともされる糠塚古墳がある。
- 和田地区には、旧和田村の村名の由来ともされる椀田の泉がある。
参考文献
関連項目