唐山市
唐山市(とうざん-し/タンシャン-し、拼音: )は中華人民共和国河北省に位置する地級市。 栗などの果樹生産が盛んなほか、古くから陶磁器生産を行い、中国の近代産業の発祥の地の一つとなって以来100年以上の歴史を持つ鉱工業都市・港湾都市である。1976年の唐山地震では壊滅的な被害を出しているが、その後の復興および改革開放政策の下に中国における重要な産業・港湾都市となっている。 地理唐山市は環渤海の中心に位置し、南は渤海湾に面して北京と共同で建設した京唐港と、水深25メートル以上の深水港である唐山曹妃甸港を擁し、海岸線の長さ196.5キロメートルを有する沿海都市である。北は燕山山脈にあり四季毎に見事な景観を呈する万里の長城により区切られて承徳市と接し、東は港湾都市である秦皇島市、西は天津市から100キロメートル、北京市から150キロメートルに位置し、人口4000万人を有す環渤海経済圏を形成する中心的な都市の一つである。 地理的範囲は南北160キロメートル、東西120キロメートルに及び、面積は13,472平方キロメートルであり、これは紀伊半島に相当する面積である。秦皇島市との間には灤河(らんが)が流れる。 唐山市は河北省最大の重工業都市であり、中国近代工業発祥の地の一つで、中国における機械化炭田、広軌鉄道敷設、蒸気機関車製造、セメント製造、近代製陶業の発祥地であり「中国近代工業の揺籃地」および「北方の陶都」と称されている。 歴史唐山市の地域には4万年前から人類が棲息していた遺跡があり、殷周時代は北方の侯国孤竹国(弧竹国)の首府であり、この国の王子たちで周の文王への義に殉じた伯夷・叔斉の兄弟の逸話は有名である。戦国時代には燕国の領土となり、漢時代には幽州となり、南北朝時代には右北平郡や遼西郡に編入された。隋・唐の時代には高句麗への前哨基地や遠征基地となっている。明の時代には、すでに鉄鉱石の精錬、石炭の採掘、陶磁器生産の中心地として今日の基礎を築いていた。清時代には直隷省永平府と遵化直隷州となっていた。 1876年、洋務運動を進めていた清朝政府は、開平鎮(現在の開平区)に半官半民の企業(官督商弁企業)である「開平鉱務局」を置いて炭鉱を開き、そのための都市として喬屯鎮を置いた。さらに1881年には中国が自力で建設した最初の標準軌鉄道である唐胥鉄道(開平-胥各荘、現在の豊南区)を敷設し、これは後に延伸され津楡鉄道(天津-臨楡)へとなった。また中国最初の蒸気機関車工場、セメント工場、衛生陶器工場なども開設され中国の近代産業の発祥の地となった。1899年には喬屯鎮は街の北側にある唐山(今は公園になっている大城山の旧称)にちなんで唐山鎮と改称し灤州(らんしゅう、現在の灤州市)の管轄下になり、1938年に市制施行され唐山市となった。1948年12月に中国共産党軍に占領され、1960年には周囲を合併して省轄市に再編された。 1976年7月28日、唐山はマグニチュード7.8の直下型地震である唐山地震に襲われた。唐山市にはそれまで大地震発生の記録がなく建築物は簡単なレンガ造りが主流であったことから、市内だけでなく周囲の建築物も壊滅的な被害を受けた。市内で14万8,000人、全体で24万人(公式の発表数)という史上最大の犠牲者を出す大惨事となった(実際の死者数はこの2〜3倍とみられ、75万人とも言われている)。鉱山があるため廃墟を放棄して完全移転することはできず、そのため市域を広げ隣接する場所に被災者のための団地や移転してきた工場などからなる新市街を建設し、その後旧市街の再建に取り掛かった。再建された旧市街中心部には抗震記念碑や抗震記念館が建っている。 1990年代に入り唐山市高新技術開発区が建設された。2007年にはパナソニック・神戸製鋼所・アイシンなどが進出する唐山現代装備製造工業区が設立され、その後も住友重機械・住友建機・ソミック石川・ニッピコラーゲンなどの日本企業が進出している。
女性リンチ事件と文明都市資格剥奪処分→「zh:2022年唐山烧烤店打人事件」も参照
2022年6月10日午前2時40分頃に市内の飲食店内で飲食をしていた女性3人グループのテーブルに男が歩み寄り、1人の体に手を回そうとするセクハラが拒絶されると、その女性の顔を殴打し、暴行しだした。店外にいた男のグループ数人が加わり、女性を店外に引きずり出して殴る蹴るの激しい集団暴行を加えている一部始終が防犯カメラで撮影されていた。セクハラを拒んだ女性らともう一人の女性がリンチされて、集中治療室の病院送りにされた。そのリンチ映像がSNS上で拡散されると、国内外から批判が殺到した[1][2]。 リンチした男性らが地元警察と癒着していたことも報道されたため、河北省の当局が地元警察幹部ら5人を規律違反の疑いで調査し出した。中国政府系メディアによると、「住民の素質(民度)と文明度が高い」と中国共産党政権に判断された都市に贈られる「全国文明都市」の資格が唐山市当局への懲罰として、唐山市から剥奪されている[1]。 行政区画7市轄区・3県級市・4県を管轄する。
年表唐山市(第1次)
唐山専区(1949年-1960年)
唐山市(第2次)
唐山地区(1961年-1983年)
唐山市(第3次)
経済唐山市は中国の重化学工業都市の一つであり、2008年のGDPは3,560億人民元であった。これは中国の661都市の中では第20位となっている。そのうち二次産業は57.4%を占め、大連市の二次産業規模を上回っている。主要な産業は製鉄業、石炭採掘、電力・ガスなどのエネルギー産業、石油採掘、機械工業、化学工業、食品産業、電子電器工業、建材工業、陶磁器工業、紡績工業などである。唐山市の一次産業は全GDPの10.3%を占め、三次産業は32.3%であり急速にその比率を高めている。 農業内陸部では水稲栽培が盛んであり、「蘆台米」というブランド名で中国国内で広く販売されている。更に内陸部となると畑作が中心となり冬から初夏にかけての小麦、夏から秋にかけてはトウモロコシを中心に栽培されている。それ以外にもタマネギ・落花生・白菜・葡萄・桃などが栽培され、特に平原から丘陵地帯になっている北部では、栗・さんざし・梨・林檎・胡桃・なつめなど各種の果実が栽培されている。発達した農業により「京東の食糧庫」と称される(京東とは北京東部の唐山市一帯を示す呼称)。葡萄は果実として出荷させるだけでなく、ワイン醸造に用いられ、またトウモロコシは牛や豚の飼料となっている。 特に栗の産出量は多く日本や韓国などに輸出され、日本で知られている「天津甘栗」はそのほとんどが唐山産である。最近は有機栽培が取り入れられ、また皮を剥いた食べやすい栗に加工され輸出されている。 漁業市南部の渤海湾に面した総延長190キロメートル以上の海岸には8.3億平方メートルもの広大な干潟が広がり、深さ20メートル以下の浅海も26.7億平方メートルに及ぶ。この地域は重要な漁場となっている。またヒラメを初めとしてエビ・カニ・フグなどを養殖する1.3億平方メートル近い養殖場が設置されその一部は日本などへ輸出されている。 鉱業市内中部の平原および北部の丘陵地帯から山岳地帯にかけて47種類の大量の鉱物資源の埋蔵が確認されている。特に石炭の埋蔵量は54億トンで中国の主要な石炭の産出地であり、鉄鉱石は45億トン埋蔵されており鞍山・攀枝花に次ぐ中国の三大鉱区の一つとされている。また清代から金の三大産出地の一つであり、現在確認されている埋蔵量は78トンである。マンガンは北部の山岳の下に層を成してあり、埋蔵量は21.4万トンである。その他、銀・銅・アルミ・モリブデン・錫・水銀などの金属鉱石を産する。非金属鉱産物は石灰石・白雲岩・石英砂岩・耐火粘土・ボーキサイト・砥石・柘榴石・石墨などである。 唐山市の石炭工業は中国最初の近代的炭鉱であり1878年7月24日に「開平鉱務局」として開業した「開灤(かいらん)炭鉱」をさきがけとする。市内の製鉄工場や発電所のほかl各地に石炭を供給している。採掘された原炭は選鉱された後に、京瀋線、通坨線、大秦線、坨港線による鉄道輸送や京瀋、唐津、唐港の各高速道路で秦皇島港、塘沽港、京唐港、曹妃甸港の石炭専用埠頭に輸送され、更に華東・華南、また海外へ輸出されている。 製鉄に使用される石炭はコークスに加工され、加工の際に発生する石炭ガスは家庭の暖房や工場の熱源として活用されている。また、また加工の際に生成されるコールタールは化学工業の貴重な原料として活用されている。 製鉄業市内で生産される鉄鉱石と石炭・石灰・耐火煉瓦を利用した製鉄所が多数操業されている。1943年(民国32年)には中国初の高炉製鉄所である唐山鋼鉄(唐山鋼鉄集団(唐鋼)の前身)が創設され、近隣の製鉄所を傘下に置き中国有数の製鉄企業となった。唐鋼は2008年に、邯鄲鋼鉄集団と経営統合して河北鋼鉄集団を発足させている。加えて、北京オリンピックを契機に北京市最大級の大気汚染源である首鋼集団の製鉄所を唐山に移転させるため、唐鋼と首鋼は共同で首鋼京唐鋼鉄聯合という新会社を設立、唐山市内の曹妃甸に大規模な製鉄所を建設した(2008年操業開始)。2009年の速報値によると河北鋼鉄集団の生産量は3,900トンとなり、中国・上海の宝鋼集団を上回り中国最大の製鉄企業となった。 唐山市には唐鋼のほかに、建龍鋼鉄や国豊鋼鉄などの有力製鉄企業があり、唐山市全体では2008年に5,000万トンの鉄鋼を生産した。この生産量は河北省の鉄鋼生産の50%に相当し、全中国の鉄鋼の10%は唐山市で生産されていることになる。 エネルギー産業市内には石炭火力発電所と水力発電所がある。潘家口水力発電所、白竜山水力発電所、大黒汀水力発電所、黎河水力発電所、浜河発電所、汀東水力発電所、上関水力発電所、陡河火力発電所、銭営火力発電所、煤矸石火力発電所、大唐王灘火力発電所などが設置され、一部はアメリカの資本と技術で運営されている。 唐山市の発電能力は需要量を大幅に上回っており、電力不足傾向が続く中国においても安定した電力供給が行われている。 また、唐山市沿岸の渤海海底から陸地にかけて、埋蔵量16億トンを超える多くの石油や天然ガスが埋蔵されていることが2007年に発見され冀東南堡油田と命名、海底油田生産などが始まっている。 機械工業唐山市の機械工業は清末の石炭の機械式採掘と鉄道の敷設および蒸気機関車の生産に始まり、現在は鉱業機械、建設機械、自動車関連、セメント製造など幅広い機械工業が市内に存在している。 中国最初の蒸気機関車を建造した列車工場は、現在は中国北車集団傘下の唐山軌道客車有限責任公司となっている。時速350キロで走行可能な中国最初の高速鉄道車両「和諧号」を生産し、この高速鉄道車輌は北京天津間で運行されている。北京上海間の高速鉄道(京滬高速鉄道)に使用される車輌もこの工場で生産中である。 化学工業化学工業は市内塩田で生産される製塩業を初め、現在では中国最大の苛性ソーダ工場が南堡開発区で稼動している。またコークス加工の際に生成されるタールを原料とした化学工業も発達している。現在は化学工業原料、化学肥料、化学農薬、化学繊維、無機化工、有機化工、ゴム製品加工業が存在している。 陶磁器工業唐山市は華南の「景徳鎮」とならぶ「北方の陶都」と称される。製陶業発祥の時期は不明であるが、明代には既に製陶業が存在し、清末には近代的な製陶業が発達している。現在は各種食器を初めトイレや風呂、洗面台などの衛生陶磁器は年1,800万個以上が生産されており、唐山市の衛生陶器生産量は中国一となっている。この他、工業理化磁器、美術磁器、磁器原料・耐火タイルなども生産されている。現在は年に一度「中国陶磁器博覧会」が市内で開催されている。 建材工業唐山の建材工業には、セメント、セメント製品、窓枠、タイル、鋼材、壁材、保温材などがある。 1889年、中国最初のセメントが生産されて以来、豊富な石灰石と電力を背景にセメントの生産量は増加し、2009年度で3,000万トンを超え、2010年現在では110社のセメント生産企業が稼動している。 また製鉄業を支えるべく溶鉱炉スラグセメントなどの熟料セメントの生産が急速に拡大している。 教育唐山市には、1895年に中国で最初に設立された近代大学を前身とする河北理工大学、中国国家石炭工業部が管轄する華北石炭医学院および唐山師範学院、唐山学院の四つの本科大学が存在し、それ以外に河北エネルギー職業技術学院、唐山科技職業技術学院、唐山職業技術学院、唐山工業職業技術学院、河北科学技術大学唐山分校の五つの職業技術学院が存在している。さらに唐山放送テレビ大学では通信教育を担当している。 それ以外の通信教育による成人教育も盛んで、清華大学や北京大学の通信教育を唐山市において受講することが可能である。中国国内の大学16校の通信教育を受託した教育機関は33箇所存在し、各大学から教授陣を招聘し、受託教育機関において遠距離教育を実施している。 1902年に創立された「唐山鉄道学院」は中国初の鉄道学校であり、多数の鉄道建設・運行管理の人材を輩出し、中国国内の他の鉄道学校は、この学校の分校から出発している。学院本部は1965年に四川省楽山市に移転し、西南交通大学に改名、華北地区では新たに北京交通大学が開設されている。
職業技術大学教育職業技能訓練専門教育
その他交通鉄道唐山は中国の東北地方と華東、華中、華南、西北、西南を連絡する交通の要衝に位置し、市内には西駅、北駅、南駅、貨物駅が設置されている。また旅客線以外にも、産出される石炭の輸送を目的に敷設された石炭専用線も存在している。 2013年には津秦旅客専用線が完成し、唐山駅から天津まで30分、北京まで約1時間となり非常にアクセスが便利になった。 高速道路唐山は市街地を取り囲む環状高速道路が設置され、そこから各方面への高速道路が分岐している。 空路唐山には唐山空港が存在し、上海、広州、西安など中国の主要都市と連絡されている。また北京首都国際空港・天津浜海国際空港とは、それぞれ120分・90分で連絡される。 海路渤海湾沿岸部には京唐港および曹妃甸港が設置されている。曹妃甸港は年間荷扱量5億トンの中国最大の深水港を目指して現在建設中で一部が稼動中である。京唐港は北京市と唐山市が協力して建設した港湾施設であり、年間の荷扱い量は1億トンである。 古跡・観光地
伝統文化
出身者姉妹都市脚注
関連項目
外部リンク
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