国分寺 (大阪市)
国分寺(こくぶんじ)は、大阪市北区国分寺にある仏教寺院で、真言宗国分寺派の大本山。山号は護国山。本尊は薬師如来坐像。「摂津国分寺」「長柄国分寺」ともいう。 「国分寺」は北区の町名でもあり、現行行政地名は国分寺一丁目から二丁目まである。2016年(平成28年)9月30日現在の人口は2,392人、世帯数は1,506世帯[1]。 歴史寺伝によれは斉明天皇の頃、日本法相宗の祖・道昭が孝徳天皇の菩提を弔うために難波長柄豊碕宮の一角に建てた長柄寺を起源とする。天平13年(741年)、聖武天皇の国分寺創建の発願により、長柄寺が摂津国の国分寺になったという。後には歴代天皇十四帝の勅願道場となっている。 慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の戦火にあい全焼。そのまま江戸時代の初期、約百年近くに渡って荒廃してしまう。享保3年(1718年)、中興の祖・快円律師によって復興し、後には関所道中御免の鑑札発行所としての特権を江戸幕府から与えられている。 明治時代となり、廃仏毀釈の混乱で境内が大幅に縮小するも1897年(明治30年)にようやく教昇大僧正が諸堂を営繕して整え聖武天皇尊殿や記念碑を建立している。しかし、1934年(昭和9年)の室戸台風により甚大な被害を受けその修復もままならない1945年(昭和20年)6月15日の第4回大阪大空襲で旧書院門(現:山門)を残し、寺宝諸共全て灰燼に帰した。 戦後、またしても境内地を大幅に縮小するも、1947年(昭和22年)には真言宗国分寺派本山となって独立する[2]。1965年(昭和40年)には昭和金堂を落慶させている。 『摂津名所図会』には本尊阿弥陀仏は聖徳太子の作、赤不動尊は空海の作とあり、行基の開基とする。摂津国分寺については、別に天王寺区にも国分寺がある。なお、「難波往古図」には当寺を「国分尼寺」として記載している。 境内
前後の札所
地名としての国分寺
地理大阪市北区の東部に位置。北は長柄西・長柄中・長柄東、西は天神橋7丁目、北は都島通を挟んで菅栄町・樋之口町、東は旧淀川(大川)を挟んで都島区都島本通に接する。 地内中央を天満橋筋、北境を都島通がそれぞれ走っている。 河川
沿革
世帯数と人口2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[4]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]。北区内の全ての市立中学校と、大阪市内の小中一貫校が対象で学校選択が可能(抽選を実施)。
事業所2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[13]。
施設交通鉄道
道路その他
脚注
外部リンク
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