夏川立也
夏川 立也(なつかわ たつや、1965年 -)は、日本のコミュニケーション・コンサルタント、プレゼンター、講演講師、文筆家。桂三枝(現在の六代目桂文枝)の弟子。 略歴1984年3月大阪府立天王寺高校卒業。 高校時代は野球部に所属。高校3年時、生徒会の応援演説で友人を誘って漫才を披露。これが後に弟子入りするキッカケになる。 2年間の浪人生活の後、京都大学工学部土木工学科入学。コンクリート工学藤井研究室、専門は鉄筋コンクリートの座屈。 大学3年生の秋、朝日新聞紙上に桂三枝師匠のインタビュー記事が掲載され、『落語に限らず、お笑い好きの若者集まれ!』という一文を目にした後輩に勧められるまま、桂三枝創設の“お笑い維新塾”に応募。4年で大学を卒業することを条件に合格。その後、お笑い維新塾二代目の塾長を務める。 同門同期に、浪漫亭ロミオ(現在の吉本新喜劇で緑のヤクザを演じる中條健一)、幹てつや、高杉二郎、また、一期下に尾崎小百合(現在のかつみさゆりのさゆり)がいる。同じく京都大学の後輩を連れて、元祖京大卒漫才師として活躍し始めるも、親バレした後輩を引き止められず、ピンで活動を続けるが、芽が出ることはなかった。 芸人だけで食べることができず、25歳の時に広告関係の株式会社を設立。年商と社員が増えるに従って、次第に芸能生活と疎遠になり、経済人としての活動をメインに続けて行く時代が続いた。 取引先の社長の紹介で、28歳の時に、地元青年会議所(一般社団法人豊中青年会議所)に入会。社会貢献活動の魅力にも取り付かれ2003年度理事長も務めた。 40歳で青年会議所を卒業後、講演講師になるため42歳単身上京。2年後からは年間200本を超える講演会・研修会に呼ばれる人気講師になり、現在も活動を続けている。 エピソード弟子時代、東京にカバン持ちとして同行し夜解放される際、『これで飯でも食って来い!』と財布を取り出した三枝師匠。あいにく千円札がなく、仕方なく一万円札を手渡されたところ、居酒屋で全部使ってしまい、三日三晩説教されたことがある。弟子入りした直後、梅田花月で開催された、勝ち抜き式の新人漫才コンクール『ル・マンザイ』でいきなり決勝大会進出。一回戦を突破したが、二回戦で雨上がり決死隊に敗れた。 書籍
講演会のタイトル
テレビ・ラジオ・映画出演等
出典
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