多摩川浅間神社
多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)は東京都大田区田園調布にある神社。旧・下沼部村(田園調布の南半分)の鎮守。登記上の宗教法人名称は浅間神社(せんげんじんじゃ)。 概要全国にある浅間神社の一社。本殿の建築様式は浅間造であり、これは東京都内では唯一[2]。社殿は浅間神社古墳の上に建てられており、間に東急東横線を挟んで多摩川台公園の舌状台地に連なる。社殿までの参道は多数の溶岩が置かれ、富士塚のように富士登山を模している。 富士山本宮浅間大社同様に、木花咲耶姫命を主祭神とし、熊野神社と赤城神社を合祀している。 歴史社地は古代に前方後円墳が築かれていた場所であり、本殿の場所が、後円部にあたる。 創建は鎌倉時代の文治年間(1185年~1190年)と伝えられる[2]。 源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した時、夫の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来た。その時わらじの傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにして逗留した際に亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると富士山が鮮やかに見えた。富士吉田には、自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたという。それ以来、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀ったのが、この神社の起こりとされている。[2] その後、1652年(承応元年)5月に浅間神社表坂の土止め工事をしていた時に、九合目辺りから正観世音の立像が発掘された。多摩川で泥を洗い流すと片足が欠けていたため、新たに足を鋳造して祀り、6月1日に神事を行ったという。これにならい、現在も6月に例祭を行っている。[2] 1907年(明治40年)に『一村に一神社』という合祀のための政令が出されたため、当時の東京府荏原郡調布村大字下沼部にあった赤城神社、熊野神社、浅間神社の三社のうち前二社を当社に合祀する[2]。 境内摂末社
富士講境内には、富士講中興の祖である食行身禄の石碑がある[2]。明治15年に地元の講社が33回目の登山を記念して建てたものである。この石碑の字を書いたのは勝海舟である[2]。 氏子地域
アクセス脚注参考文献
関連文献関連項目外部リンク
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